旅ははじまったばかりなのだ。
僕は異国の地でひどい不安にかられていた、この先どうなるのだろう、旅を続けていけるのだろうか。
4年前ほど、1年半かけて自転車で日本を周った。ただそれでは飽き足らず僕はずっと海外でも自転車で旅することを考えていた。しかし海外には行ったことすらなく、クレジットのVISAと入国査証のビザの違いさえ分かっていなかった究極のド素人が初海外にして一人で自転車で周ろうというこれまた究極に無謀とも言える旅に出てしまったのだ。
普段の生活でもそうだが、物事の直前になってしか動かない僕はやはり出発直前にもなって準備に追われる日々を送っていた。パッキングは出発前夜深夜0時にようやく終わり、連日の寝不足を引きずったまま関西国際空港で家族親戚・元職場仲間に見送られてわけもわからないまま出国のゲートをくぐった。旅は本当に始まったのである。
出発前に飛行機のチケットを買うこと自体にかなり時間を費やした気がする。初めての海外行きの航空券購入というハードルの高さと自転車旅というのはバックパッカーに比べてとにかく荷物が多い。キャンプや自炊も視野に入れているので生活道具を揃えて自転車に積み込んで旅をする。飛行機に載せる荷物はカバンが6つ、そして当然ながら自転車。安い航空券はいくらでも見つかるが、無料で積み込める荷物量は航空会社によって異なり、所によっては荷物料金で莫大な金額をとられてしまうため、海外自転車旅においてまず飛行機選びというのは重要な課題のひとつなのである。さらに最初に行く国のビザ申請も日本で行ったがこれがさまざまな書類の提出が必要で神経と時間を費やすこととなり、道具の買い出しなど本当に出発前の1週間はゆっくりと出来る時間がまったくなかったのである。
さて、ついに出発した僕の最初の絶対目標は旅のはじまりである東南アジアはバンコクに予約してある宿に着くことである。13時30分の飛行機で大阪を出発、飛行機は北京でいったん乗り継ぎ、空港には3時間ほど滞在、当たり前だがもうすでに異国、立ち並ぶ看板の連なる漢字には馴染みがあるものの意味を全て理解するのは難しい。とにかくまずはタイの空港へ、外人たちの列に並び、無事にイミグレーション(入国審査)が終わることを祈るばかり。乗り継ぎの便が北京を発つころにはすでにあたりは暗くなっていた。機内の乗客は欧米人もいるがほとんどがアジアの顔ぶれである。中国人がいればタイ人、日本人もいるだろうが顔だけではなんとも判別はつきにくい。
15日現地時間0時ごろ、僕はドキドキの入国審査を終えてついにタイの地に足を踏み入れたのだった。深夜0時、当然空港を出るとまっくらなのでこの日は朝までベンチでやりすごすことにする。少し外に出ると生ぬるい風が身を包んだ、どこか懐かしい南国の匂いである。
朝7時、出発準備を始める前に僕は初めて外国の通貨を使って外国のご飯を食べてみる。これは少し勇気のいることであった、しかし勇気を出さずしては飯も食えなければ生きてもいけないのだ、それが海外を旅するということ、慣れなければ。出てきた麺料理を味わって、僕はなんとも言葉にしがたい気持ちになった。パクチーとおそらく魚醤のいかにも「アジア」を感じる独特な風味、そして唐辛子の強烈な辛さ。いや、旨いのだ。けして不味くはないのだが、もうこの時24時間まともに寝てない体に流しこむものではないと。自分の胃袋に心の中でゴメンと言いながらこれから走るためにも完食。辛くない料理はあるだろうけど、これがアジアを旅するということ、世界を旅するということなのだと自分に言い聞かせる。
いよいよ自転車を組み立てていく。運よくロストバゲッジ(飛行機運送途中に荷物がなくなること)も自転車の部品が壊れるということもなかったようである。だが組立はじめてすぐ、空港の職員らしき人オジサンが異国の言葉で話しかけてくる。詳細は分からないが言ってることはこうであった。
「ダメだよ、こんなでっかい荷物はタクシーで運ばないと。」
それはとても僕にとっては都合の悪いことだ。自転車を入れていた段ボールなどの大きなゴミを空港に捨てる必要があったし、空港から宿までの30KMほどの距離をまずは練習がてらに走ってみたかったのもあり、オジサンの去った後とりあえず言われたことは無視してそのまま自転車を組み進めることにした。しかしその数分後再び同じオジサンが戻ってきて「ダメだって。」と同じやり取りをする。郷に入れば郷に従えか?僕は一度は折れてタクシー輪行も考えたが、そのオジサンとタクシーの運ちゃんが仲良くしゃべってる所に疑問を感じ、空港職員2人に聞いてみたが特に自転車で空港を出ることに問題はないようなのである。その後特にお咎めもなく、フル装備を積んだ自転車が午前11時ごろ完成し、本当の自転車旅ははじまろうとしていた。
走り出してすぐに最初の困難が。まずは荷物の重さがすごいのである。積み方のバランスが悪いのか小刻みにハンドルが揺れて非常に恐怖を感じた。キャリアのねじ込みも足らなかったようで、レンチで増し締めして少しはマシになったが、積み方も今後改善は必要そうだ。そして次に出る道が分からない。この時まだ地図は持っていなかった、出発までに調べる時間がなかったのである。頼りは空港のWIFIで調べたグーグルマップをメモした紙とコンパスのみ、これで宿まで行こうというわけだ、メチャクチャである。空港からは高速道路は見つかるのだが一般道がどこなのかさっぱり分からない。右往左往してようやく空港を脱出することが出来たが今でもその道は自転車の走って良い道だったのか不確かであるので、行かれる方はちゃんと調べてから行って下さいということだけ付け加えておきます。
どうにかこうにか走り出したのだが、次に南国の暑さが体を襲う、ゆうに30℃は越えているのだ。さらに交通量の多さ、町に入るとタイ人たちのなかなかハチャメチャな走行っぷり。バイクの逆走、歩道走行、屋台の車道逆走(!)など日本では考えれられないことがここでは普通なのだ。しかしもう気にはしていられない、それよりこのいい加減な地図でまずが宿に着けるのかということだ。そして当然のごとく半分まで来たところでさっぱり道が分からなくなった。コンパスの方角はあっていいるのでまったく間違っているわけではないと思っていたが、走るべき通りからは外れているようだった。初めての異国、うなだれる暑さ、排気臭さ、うごめく車やバイク、そして度重なる寝不足に僕はすっかり憔悴しきっていた。そして同時に「もうこの旅は出来ないかもしれない」とも思った。それでも宿にはなんとかしてつかなければならない。僕は現地の人に3回道を聞いて、ようやく、ようやく宿に着くことが出来た。奇跡だと思った。でもこんなことで奇跡なんていっちゃあいられない。
これからはこの奇跡を普通にしなければならないのだ、不安でゾッとした。
だが悪いことばかりではない。道を聞いたタイ人がとても親切だったこと、ゴチャゴチャとした街並みにはやはり興味をそそられる。まだ好奇心までは失われていないようで、そのおかげでこの先心がどうなるかは分からないがまだギリギリ旅は続けてみようとは思っている。夕暮れ時、宿で仲良くなった同年代の旅人と屋台で食事をする。トムヤムクンと豚入りチャーハン、朝食べたときよりはずっと美味しく感じられた。宿にも着き、日本人にも会い、現地のお金を支払うことにも少しだけ経験をつむことが出来ていると感じたようだった。そんなこんな前途多難(大げさかと思うが)で始まった旅であるが、楽しんでいこうと思う。
↑これが空港→宿間に使った手書きの地図。これとコンパスを頼りにきたが当然途中で迷子になる。