屋台の少年に学ぶこと
今日は日記を書かない予定だったがやっぱり書かずにはいられない。記憶が薄らいでしまう前に、ド素人ライター魂がうずいているようだ。
今はchachoengsaoチャチューンサオという町にいる。1週間滞在したバンコクを出て60kmほど東の町。
まずはバンコクでお世話になった日本人宿のことから。「EZSTAY BANGKOK」という名の宿は元バックパッカーのご夫婦によって経営されている。マンションの一室を改装したゲストハウスは多くても10人くらいの少人数制。アジアの安宿というと不衛生なイメージがあるが、ここはとても清潔で居心地のよいところだった。主に旅行者の世話は奥さんの方がやってくれる。アンサリーに似た清楚な方で、毎日夕方になると5歳の息子さんのショウタ君も遊びにやってくる。全く人見知りしないショウタ君は日々入れ替わる旅人を見つけては「遊ぼ!」と彼オリジナルの遊びにまきこんでくる。なかなか自由な性格の持ち主のようで勝負事になると必ず彼が圧勝する構図になっていて全くこちらは勝たせてもらえない。遊びを断るとかなり騒がれるので断れない、そんな彼だがやっぱりカワイイやつで、こない時は「アイツこーへんのか。」とちょっと寂しい気持ちになるから不思議だ。
EZSTAYで出会った旅行者たちはみな心の優しいひとたちばかりで、毎日自己紹介しては食べに飲み行ったりしていた。バンコクにも観光できるお寺や王宮などがあるそうだが、僕は観光そっちのけで彼らとつるんでるのが楽しくて仕方がなかった。何日も一緒の人もいたので、別れの時はちょっとツラかったりもしたかったがいつかは行かなくてはならない。彼らの旅に幸あれ。
さて、バンコクの町を抜けていく。宿を出たばかりはとてつもない車とバイクの大河をおそるおそる進んでいく。空港方面に向かう道に乗るとやっと進路がシンプルになった。昼過ぎ、最初のスタート地点でもあった空港付近までやってきた。ゲストハウスの文字が一瞬見えたような気がしてここあたりで終えてもイイような気がしたがさすがに終えるには早すぎる時間だった。大都会だった道は郊外の国道らしい広い道と沿道には大小の店やガソリンスタンドが並ぶ。そこも抜けると道は片道一車線に、やがて横には緑の草が揺れる風景がむこうの地平線まで広がっている。初めて見るタイの田舎の風景。イネっぽい草であった、この辺は二期作なのかな?
もくもくとこいでいるうち日は少しずつ傾いてきた。今日の宿を決めないと、予約などしていない。小さな村でも宿はあると勝手に信じていた浅はかな僕はその後痛い目をみることに。3~4階ある建物を見つける、宿だろうか?1階のレストランにいた従業員に「ここは宿か?」と聞くと「ノー、10数キロさきにホテルがある。」と簡単にメモに書いてもらった。まだ10km以上こがないといけないのか、地元の人がいうのだからそうなんだろう。やがてその場所の近くまで来たはずだが見つからない。「HOTEL」くらい英語で書いているものだと思っていたが、あちこちにある建物のほとんどはなんて読むか全く想像のつかない現地語で書かれている。さっきのメモを近くの人に見せても知らないという。また新たなホテルを教えてもらう。日は少しずつ暮れてくる、焦りがつのる。しかもこの間3回ほど犬にも追いかけられた、たいていすぐにあきらめてくれるのだがその度に全身の毛が逆立つ思いである。けっきょくさっき教えてもらったホテルも見つからない。町にはついていて、そこそこ大きな町なので無いということはないであろう。でも「HOTEL」という現地語すら分からないのだ、あらためて準備の無さを嘆く。僕は途方にくれる、ショッピングセンターでWIFIにつながるかパソコンでためしてみるがダメだった。最終は野宿?野良犬が闊歩するところでそれはイヤだ、治安も良くない可能性だってある。頑張って聞くしかないのだ、タイ語はさっぱり、英語もいまいち、それでも聞くしかない。電車の駅で駅員さんに聞いてみる。すると駅から歩いていけるところに2件ほど存在するという。駅を出て探してもやはり最終的な特定ができない、もう一度他の人に聞いてみる。そしてようやく僕は宿を見つけることができた、バンガローのように独立したとてもイイ部屋なのだが700B(日本円2400円)くらいと、EZSTAYよりは高いけど宿があるだけでどれだけありがたかったか。
自分の浅はかさにほとほとあきれてしまう。旅に出たくてもこわくて出ない人はこういう事態を想像できるからだろう、賢いと思う。僕は本当にバカだから想像しないまま旅出る、そして痛い目にあう。てことで疲れたのもあり、もう少し旅のノウハウを学ぶためにももう1泊することにした。宿はネットがつながるのでありがたい。昼はネットや持ってきた旅のノウハウ本で勉強、夕方から川の近くまで夕暮れを見に行き、そのままあちらこちらに並ぶ屋台で夕飯を食べることに。屋台のご飯はひとつひとつ量が少ないことが多い。麺類をひとつ頼んだが全然足らなかったので、別の屋台でフライドチキンと、トーストに砂糖をまぶしたものをかった。フライドチキン屋のおっちゃんに、「ニッポン?」ときかれたので、そうだと答えると「アジノモト!」と言っておっちゃんはゲラゲラ笑ったのでこっちもブッと吹き出した。
どの屋台の飯も美味かったがまだ満腹にならないのでもう1件、ご飯ものの屋台だ。頼み方が分からずおばちゃんの前でタジタジとしていると、隅で皿洗いしていた中学生くらいの少年を呼んでくれた、彼は多少英語ができるようだ。僕よりもひとまわりほど若いのだけど、彼のほうが英語が出来るという情けなさ、それにしてもタイではしっかりと英語教育がされているのだなと感心する。「ガパオライス」を頼んで食べながら、彼と少し話をする。「一人で旅ってさみしくない?」「いや、そうでもないよ。」へえ、と彼は笑みを浮かべた。きっといつもここで家族を手伝っているのだろう。かたや学校帰りに家族の仕事を手伝う少年と、仕事もしないでフラフラ旅をしている自分を比べて少し恥ずかしくもなる。僕が日本で仕事をまっとうできていたであろうか?ひとつのところで長続きせず、期待を裏切ることもあった。望んで旅をしているわけであるが、生きるためにいづれ旅と決別して現実と向かいあわなければならない。食べ終わり、少年の写真を撮らせてもらおうとしたが、他のお客さんの世話で忙しそうだったので、お礼だけ言って、彼も返してくれた。宿に向かい自転車をこぎながら、フと少年の幸せを祈りたくなった。
明日からまた旅を始める。ドキドキするがまた楽しみなのである。