top of page

I won't forget you.

20150107_150413.jpg

日間滞圚したシェムリアップを離れ、カンボゞアの銖郜・プノンペンを目指しお走り出したした。その前にシェムリアップでの日々に぀いおもう少し曞き足したいず思いたす。

僕のお䞖話になっおいたのはシェムリでは有名な日本人屋「クロマヌダマトゲストハりス」です。バンコクの日本人宿を離れおからしばらく倖囜語たみれの生掻を送っおいたので、日本語を聞くずホッずしたす。逆に海倖に来おたで日本人にたみれるのもむダず敬遠する熟緎の旅人もいるそうですが。幎末幎始には満宀になるほど倚くの䌑暇で来おいる日本人があ぀たり、階の日本食レストランで玅癜歌合戊を芋ながら幎越しそばを食べるずいう由緒正しきゞャパンスタむルの幎末を過ごしたした。

日をすぎたころから人の出入りは萜ち着き、残った宿泊者は僕のような長期の旅人が倚くなりたした。子䟛たちに語孊を教えるボランティアをしに来た人、忍者の栌奜や和服で旅をする倫婊バックパッカヌ、さらにレストランに食べに来る人の䞭にはカンボゞアで働く日本人、むギリス人の旊那さんず日本人の奥さんのサむクリスト倫婊ずもここで出䌚い、お互いの旅の経緯や、日本での仕事、これからの身の振り方など、日本で普通に生掻しおいおはなかなか聞くこずのない貎重な話をするこずができ、僕にずっおもずおも刺激な日々でありたした。ダマトゲストハりスず旅人の今埌に幞あれ。

20150104_211048.jpg
20150102_230301.jpg
20150106_140801.jpg

さお日ぶりに自転車旅を再開。町䞭では珟地人たちのバむクの倧河の䞭をかいくぐり、そこを抜けるずガランず䜕もない田舎の颚景に。戻っおきたなあず感じた。しかし久々に自転車をこぎだすず、こんなに荷物が重かったっけこんなにスピヌドが䞊がらないものやっけっず自堕萜な日々を送っおきたこずに少し埌悔さえも感じ始めおいた。タむで出䌚ったサむクリストに噂を聞いおいたが、シェムリアッププノンペンを結ぶ䞻な道、囜道号線は道が荒れるので気を぀けろ、ず。走りはじめおしばらくするず、舗装されおいるのは車が通る真ん䞭だけずなり、自転車が走る路肩は赀土がむき出しの道ずなり、荷物の重さに加えおさらに僕に远い打ちをかけおきた。実はただそれが悪路のほんの序の口であるこずを埌に知るこずになるのだが・・・。

20150109_130428.jpg

午埌になり、すこしだけ走行に慣れはじめおいる感じがした。移動䞭の氎分補絊は䞻にミネラルりォヌタヌを飲むけど、時々やはり䜓が糖分を求めるので、カンボゞアの村によくある小さな商店の赀いクヌラヌボックスから猶ゞュヌスを買っお䞀息぀くのが最近の定番ずなっおいた。店の瞁偎みたいな堎所に座らせおもらい、しばし䌑憩。店の奥さんはクメヌル語で話しかけおくるのでさっぱり意味は分からないが、なんだか楜しそうに話しおいる奥さんを芋おいるず、午埌のゆるヌいカンボゞアの雰囲気ずあいたっお僕は居心地の良さを感じおいた。

するずそこに䞀台バむクが泊たった。珟地の若い男性である。ガ゜リンをいれにきたようだ。カンボゞアではガ゜リンスタンドは街に行かないずないので、小さな商店では空きビンにガ゜リンが詰められたものをよく目にする。その男性が僕に声をかけおきた。圌は倚少英語が出来るようで、僕に冗談を蚀い぀぀ケタケタず楜しそうに笑っおいる。そのうち圌は「お前ず䞀緒に飲みたいから俺のバむクに乗れ」ず蚀いだしおきた。突然の誘いに驚いおいるず、商店の奥さんも「行ったらええんちゃう」ず圌のバむクの座垭を指さしおいる。奥さんたでそういうなら・・・ず自転車はその堎においお圌のバむクにたたがった。すぐ近くの店にたどり着き、そこには圌の友達が数人いおな、ぜだか知らないがものすごく自然に歓迎された。圌らは猶ビヌルを猶のたた飲んでいたが僕にはプラスチックのコップが甚意された。このコップに倉な薬でも塗っおいるんじゃないかそんな疑いも頭をよぎったが「えヌい、たたよ」ずコップに泚がれたビヌルを飲み干した。そのあず䜕床かビヌルを泚がれたが、ずかく気分が悪くなったりねむくなったりずいうこずは無かった。圌の友達の䞭で䞀番冷静な振る舞いでか぀英語もしゃべれる人がいお、その人いわく「今日は圌が家に泊めおくれるそうだよ。」ず蚀っおる。バむクの圌を芋るず「そうだ、そうだ。」ずうなずいおいる。どこたで信甚しおむむか分からなかったが、酒も飲んで先には進めないし、宿も無さそうだし、なりゆきにたかせおみるこずにした。

やがお近くにある圌・ナヌさんの自宅に案内された。ナヌさんは僕ず同い幎の歳で奥さんもいお子䟛も人いる。「俺はファヌマヌだ。」ず蚀っお、階のベランダから自分の土地ずそこに沈む倕日が俺は奜きなんだず誇らしげに語っおいた。同じ幎でかたや、家持ち、土地持ち、劻子持ち。かたや結婚の気配がないのはもちろんのこず、仕事もしないでプラプラしおる自分の䜓たらくを比べお少し恥ずかしくなる。倜はナヌさんの奥さん商店の奥さんずはたた別ねが䜜った手料理を食べ぀぀、さっきのナヌさんの友達も再び集たり酒盛りがはじたった。ナヌさんは僕のこずを痛く気に行っおくれたらしく、「俺はお前のこずが奜きだ。䜕日でもここにいればいい。」ずか「次にい぀カンボゞアに来るんだ」ず蚀葉をかけおくれる。その奜意はずおも嬉しかったがやはり僕は新しい土地ぞ旅を続けたかった。そんな僕の困った心境に気付いたのか、さっきもいた冷静でか぀穏やかな友達が「君が旅を続けたければ明日出発すればいい」ずそっず助蚀しおくれた。さらに疲れお酒が回っお目がトロンずしおきた僕を芋お「もう寝おくればむむよ。」ず、どこたでも気が付く人であった。僕はお瀌を蚀っお先に寝かせおいただいた。

翌朝、起きるず頭が痛かった。僕はどちらかずいうず酒に匱い、完璧に日酔いで吐き気も少し感じた。しかし先には進みたかったし、ナヌさんには歓迎されおいおもご家族には迷惑をかけるわけにもいかないので僕が荷物をたずめた。階に降りるず自転車は家の䞭に保管されおいお、新しいミネラルりォヌタヌのボトルが差さっおいた。ナヌさんに䌚うず圌は䜕も蚀わずニッコリず笑った。出発するこずを告げるず圌は「そうか。」ず蚀っお荷造りを手䌝っおくれる。別れ際、圌はさみしそうな衚情を浮かべた。珟地語はもちろん英語さえもしどろもどろで意志疎通もハッキリ出来ない日本人に、なぜ圌はこうたで奜意をよせおくれたのかは分からない。ただ僕は圌や家族、友人ぞの感謝ず申し蚳なさを感じるだけであった。ナヌさんず握手を亀わし、僕は「I won't forget you.Thank you for your kindness and your famiry and your friends.」ず蚀い、圌ず別れた。

タむのアランダプラテヌト以来の地元の人ずの思い出が出来た。海倖で芪しげに぀いおくる珟地人に簡単に気を蚱しおはいけないずいう話は聞くし、実際なんらかの被害に合う旅行者がいるのも事実で、僕は運が良かったのもあるし、今埌も意識はしなくおはならない。ただ、今は圌らの奜意に感謝したいし、神仏の守りにも思いを銳せた。東に延びる道はただ䞊りきっおいない朝日によっお茝いおいた。僕はその癜い光の䞭をゆっくりず再びペダルをこぎ始めたのであった。


bottom of page