I won't forget you.
10日間滞在したシェムリアップを離れ、カンボジアの首都・プノンペンを目指して走り出しました。その前にシェムリアップでの日々についてもう少し書き足したいと思います。
僕のお世話になっていたのはシェムリでは有名な日本人屋「クロマーヤマトゲストハウス」です。バンコクの日本人宿EZSTAYを離れてからしばらく外国語まみれの生活を送っていたので、日本語を聞くとホッとします。逆に海外に来てまで日本人にまみれるのもイヤと敬遠する熟練の旅人もいるそうですが。年末年始には満室になるほど多くの休暇で来ている日本人があつまり、1階の日本食レストランで紅白歌合戦を見ながら年越しそばを食べるという由緒正しきジャパンスタイルの年末を過ごしました。
3日をすぎたころから人の出入りは落ち着き、残った宿泊者は僕のような長期の旅人が多くなりました。子供たちに語学を教えるボランティアをしに来た人、忍者の格好や和服で旅をする夫婦バックパッカー、さらにレストランに食べに来る人の中にはカンボジアで働く日本人、イギリス人の旦那さんと日本人の奥さんのサイクリスト夫婦ともここで出会い、お互いの旅の経緯や、日本での仕事、これからの身の振り方など、日本で普通に生活していてはなかなか聞くことのない貴重な話をすることができ、僕にとってもとても刺激な日々でありました。ヤマトゲストハウスと旅人の今後に幸あれ。
さて10日ぶりに自転車旅を再開。町中では現地人たちのバイクの大河の中をかいくぐり、そこを抜けるとガランと何もない田舎の風景に。戻ってきたなあと感じた。しかし久々に自転車をこぎだすと、こんなに荷物が重かったっけ?こんなにスピードが上がらないものやっけ?っと自堕落な日々を送ってきたことに少し後悔さえも感じ始めていた。タイで出会ったサイクリストに噂を聞いていたが、シェムリアップ~プノンペンを結ぶ主な道、国道6号線は道が荒れるので気をつけろ、と。走りはじめてしばらくすると、舗装されているのは車が通る真ん中だけとなり、自転車が走る路肩は赤土がむき出しの道となり、荷物の重さに加えてさらに僕に追い打ちをかけてきた。実はまだそれが悪路のほんの序の口であることを後に知ることになるのだが・・・。
午後になり、すこしだけ走行に慣れはじめている感じがした。移動中の水分補給は主にミネラルウォーターを飲むけど、時々やはり体が糖分を求めるので、カンボジアの村によくある小さな商店の赤いクーラーボックスから缶ジュースを買って一息つくのが最近の定番となっていた。店の縁側みたいな場所に座らせてもらい、しばし休憩。店の奥さんはクメール語で話しかけてくるのでさっぱり意味は分からないが、なんだか楽しそうに話している奥さんを見ていると、午後のゆるーいカンボジアの雰囲気とあいまって僕は居心地の良さを感じていた。
するとそこに一台バイクが泊まった。現地の若い男性である。ガソリンをいれにきたようだ。カンボジアではガソリンスタンドは街に行かないとないので、小さな商店では空きビンにガソリンが詰められたものをよく目にする。その男性が僕に声をかけてきた。彼は多少英語が出来るようで、僕に冗談を言いつつケタケタと楽しそうに笑っている。そのうち彼は「お前と一緒に飲みたいから俺のバイクに乗れ!」と言いだしてきた。突然の誘いに驚いていると、商店の奥さんも「行ったらええんちゃう?」と彼のバイクの座席を指さしている。奥さんまでそういうなら・・・と自転車はその場において彼のバイクにまたがった。すぐ近くの店にたどり着き、そこには彼の友達が数人いてな、ぜだか知らないがものすごく自然に歓迎された。彼らは缶ビールを缶のまま飲んでいたが僕にはプラスチックのコップが用意された。このコップに変な薬でも塗っているんじゃないか?そんな疑いも頭をよぎったが「えーい、ままよ!」とコップに注がれたビールを飲み干した。そのあと何度かビールを注がれたが、とかく気分が悪くなったりねむくなったりということは無かった。彼の友達の中で一番冷静な振る舞いでかつ英語もしゃべれる人がいて、その人いわく「今日は彼が家に泊めてくれるそうだよ。」と言ってる。バイクの彼を見ると「そうだ、そうだ。」とうなずいている。どこまで信用してイイか分からなかったが、酒も飲んで先には進めないし、宿も無さそうだし、なりゆきにまかせてみることにした。
やがて近くにある彼・ユーさんの自宅に案内された。ユーさんは僕と同い年の28歳で奥さんもいて子供も3人いる。「俺はファーマーだ。」と言って、2階のベランダから自分の土地とそこに沈む夕日が俺は好きなんだと誇らしげに語っていた。同じ年でかたや、家持ち、土地持ち、妻子持ち。かたや結婚の気配がないのはもちろんのこと、仕事もしないでプラプラしてる自分の体たらくを比べて少し恥ずかしくなる。夜はユーさんの奥さん(商店の奥さんとはまた別ね)が作った手料理を食べつつ、さっきのユーさんの友達も再び集まり酒盛りがはじまった。ユーさんは僕のことを痛く気に行ってくれたらしく、「俺はお前のことが好きだ。何日でもここにいればいい。」とか「次にいつカンボジアに来るんだ?」と言葉をかけてくれる。その好意はとても嬉しかったがやはり僕は新しい土地へ旅を続けたかった。そんな僕の困った心境に気付いたのか、さっきもいた冷静でかつ穏やかな友達が「君が旅を続けたければ明日出発すればいい」とそっと助言してくれた。さらに疲れて酒が回って目がトロンとしてきた僕を見て「もう寝てくればイイよ。」と、どこまでも気が付く人であった。僕はお礼を言って先に寝かせていただいた。
翌朝、起きると頭が痛かった。僕はどちらかというと酒に弱い、完璧に2日酔いで吐き気も少し感じた。しかし先には進みたかったし、ユーさんには歓迎されていてもご家族には迷惑をかけるわけにもいかないので僕が荷物をまとめた。1階に降りると自転車は家の中に保管されていて、新しいミネラルウォーターのボトルが差さっていた。ユーさんに会うと彼は何も言わずニッコリと笑った。出発することを告げると彼は「そうか。」と言って荷造りを手伝ってくれる。別れ際、彼はさみしそうな表情を浮かべた。現地語はもちろん英語さえもしどろもどろで意志疎通もハッキリ出来ない日本人に、なぜ彼はこうまで好意をよせてくれたのかは分からない。ただ僕は彼や家族、友人への感謝と申し訳なさを感じるだけであった。ユーさんと握手を交わし、僕は「I won't forget you.Thank you for your kindness and your famiry and your friends.」と言い、彼と別れた。
タイのアランヤプラテート以来の地元の人との思い出が出来た。海外で親しげについてくる現地人に簡単に気を許してはいけないという話は聞くし、実際なんらかの被害に合う旅行者がいるのも事実で、僕は運が良かったのもあるし、今後も意識はしなくてはならない。ただ、今は彼らの好意に感謝したいし、神仏の守りにも思いを馳せた。東に延びる道はまだ上りきっていない朝日によって輝いていた。僕はその白い光の中をゆっくりと再びペダルをこぎ始めたのであった。