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激走!国道6号線とカンボジアの七不思議

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なんだか「敏いとうとハッピー&ブルー」的なタイトルになりました。タイにいたころから感じていたことですが、カンボジアに入ってさらに凄みを増した気がするカルチャーショックたるを忘れないうちに書き残しておこうという備忘録的なアレです。「七不思議」と言ったからには七つ話題をあげなければならないプレッシャーと、そのネタに対する写真が足りないのでどうやって文章で「ショック」ぷりを伝えるのかハードルあげまくりですが頑張ります。

①カンボジアの「ハロー」の謎

前回の日記にも書きましたが、カンボジアを走っているとどこからともなく子供たちの「ハロー!」という声が聞こえてきます。向こうが「ハロー!」とくればこちらも「ハロー!」と手を振ります。こちらが疲れてヒーヒー言いながら自転車を走っている時だって容赦なくハローの声は降ってくるので息たえだえに「は、はろ~・・・」とつぶやいて一応手を少しだけかざすようにはしています。100m先でも僕たちを見つければ彼らは叫ぶ、それが5歳にもいかない小さい子だってそうなんです。確かに国道6号線は主要道路で、僕も2日に1回くらいはサイクリストとすれ違うことがあり、彼らが僕たちのような自転車旅行者をよく目にしているのは分かりますが、小さな子のあの反応の早さには思わず旅行者を見かけたらハロー!と叫ぶようDNAにすりこまれているんじゃないかと思うほど。

ところで彼らが使うのはカンボジアでいう「こんにちは」を意味する「チュムリアップ・スオ」や「スース・ダイ」ではなく英語の「ハロー」なのだ。コレは僕たちが外国人だからというのも分かるが、現地の大人にも「スースダイ」と言われたことはあまり無いし、大人が電話に出る時も彼らは開口一番「ハロー」という。タイではハローではなく僕たちにも「サワディーカップ(カー)」というタイ語のこんにちはだったのですが。少し話が変わるけど、この前会ったドイツ人は「ドイツ語で『こんにちは』は『グーテンタグ』だけど、『ハロー』の方がイージーだよ。」と話していた通り「ハロー」は世界でも広く使われている言葉だからカンボジアでもそうなのかもしれない。さらにカンボジアは自国通貨「リエル」とアメリカ「ドル」が一緒に使われているところにも所以があるのか。ちなみに1$以下のお金の「セント」は流通してないので1$以下のおつりは「リエル」で返されます、カンボジアに入った当初は本当にややこしかった。

②カンボジアの結婚式

日本で結婚式を挙げるとなると、式場を借りるのが一般的かと思います。しかしカンボジアは「街」と呼べる大きさの街は少なく、どちらかというと「村」や「集落」と呼べそうな場所の方が圧倒的に多い。失礼な言い方を含むかもしれないが「村」は見た目からもとても日本のような生活水準の高さはなく、式場はおろか、式場に使うような公民館のような施設多くはないのかもしれない。では彼らはどこで式を挙げるのか。無いなら作ってしまうのです、即席の式場を。もしカンボジアを旅して、カラフルなテント会場から大音量の音楽が聞こえてきたら、それは結婚式と思っていいでしょう。僕は多い時に1日3度は村の結婚式の横を通りかかることもあります。都会でもちゃんとした式場を借りるのはかなり費用がかかるそうなので、やはりテントで式場を作ってしまうのです。

これはネタになるなと、ある時立ち止まって外から写真を撮っていると、例のようにテントの中にいた子供たちが「ハロー!」と叫びだしました。それに気付いた大人たちが、「お前もコッチ来て飲め!」とテーブルを指さしてジェスチャーをしているのです。ちょっと興味があったので勇気を出して「突撃、隣の結婚式」のはじまりはじまり。受付の人に促され、テント内に所せましと並べられた円卓の一席に座らせていただき、次々と運ばれてくるご馳走を一緒にいただいているというなんとも不思議な状況に思わずニヤリ。新郎新婦を探したが、式自体は終わっていたのだろう、どの人たちか分からない。さらに会場にいる女性たちはディズニーアニメに出てきそうなカラフルで豪華なドレスを身にまとっていて、一体どの人が新婦であってもおかしくないくらい。ちなみに男たちは割と普段着が多いというアンバランスさ。

タダ食いも申し訳ないと、ご祝儀を払わせてもらいましたよ。ご祝儀名簿をチラっとのぞくと、だいたいみんな30000リエル~50000リエルが相場のようで、まあ飛び込みゲストやし2万リエルということにさせてもらいました、2万リエルというと5$相当ですね。何やら封筒に住所を書けというので実家のものを書きましたが、いつの日かカンボジアから礼状でも届くのかしらー。ちなみに式場を設置するのは新婦側の家の敷地でやることが多いそうです。

③限界まで詰め込みます。

これは彼らのバイクや車の扱い方の話です。タイでも異常な多さの積荷や日本ではあきらかに違法な○人乗りをしょっちゅう見かけていましたが、カンボジアはさらにやります。大人と子供の組み合わせでバイクに5人乗り、車では大きめのバンに人や荷物がぎっしりと詰まっているのを良く見かけます。車に関しては最近聞いた話35人が一度に1台のバンに乗っていたそうです。積荷もすごい。バイクには車輪付きの荷台になんでものせる、インパクトの強いものでは大量の生きたニワトリがぶらさがっていることもあれば、ブタが3匹仰向けになって運ばれているのを目にした時は、驚きと共に命をいただいて生きているのだなあと感じ思わず手をあわせたくなります。トラックやバンもありえない量の積荷を見かけます。いちいち内容を覚えちゃいないし、あっと思った時には写真を撮るタイミングもないのでこの迫力を伝えることが出来ないのが残念ですが、本当に毎度爆笑させられています。

④ライバルだらけ?

カンボジアでは同じ業種の店が小さな村の中でも軒を連ねて並んでいます。例えば村で必ず見かける小さな個人商店。扱う商品は大方決まっていて、瓶詰にされているガゾリン、飲料水やジュースが入った赤いクーラーボックス、駄菓子、簡単な日用品。全ての店を見比べたこともないのではっきり言えませんけど、まあどこも似たようなもの。ごく簡易的なコンビニが軒を連ねていると言ったらイメージしやすいでしょうか、なんでみんな同じことやってんの?商売なりたってんのー?・・・って余計なお世話でしょうけど。ある街ではフランスパンと揚げ菓子のような食べ物を扱う店が隣同志で10軒、20軒・・・。市場では同じような野菜を扱う露店が続く。でも、昔の日本だってスーパーなどが無かった時代は同じような状態だったかもしれない。内戦が落ち着いて、これから発展が期待されるカンボジアだ、おそらく僕が見ているのは、かつての戦後の日本の姿なのかもしれない。

⑤散乱してます。

これは七不思議というかカンボジア人に対する軽い文句なんですけど。ゴミのポイ捨てがあるのは日本でもそうだしカンボジアでも同じです。僕はポイ捨しないので、なぜゴミ箱見つけるまで持っておけないのか理解に苦しみますが、ゴミを見るたびイライラしていては生きていけないので日本でもカンボジアでも気にはしていません(目の前で捨てられたら「はあ?」って思いますけどね。)ということでゴミが落ちていることには特に疑問もないのですが、コレはいかがなもんよと思うのがカンボジアの屋台食堂に行くと、客が使った使用済みティッシュがたくさん席の下に散らばっていることがしばしばあります。ひどい時はまるで雪でも降った後のようです、マジで。これは正直汚らしいというか、食べるところなんだから店側にも掃除してほしいし、客も下に捨てずに食器と一緒に置いておけよと思うのですが・・・。まあ食べながらハエはあたりでブンブン飛んでるし、虫がご飯に入ってることもあるし、ティッシュ散乱に関してもそんなの気にしてたら東南アジアは旅できないので、最終的には無視せざるをえないのですが。

⑥ハンモック

タイではほぼまったく見なかったのですが、カンボジアに入った瞬間、人々のハンモック率が急上昇。彼らは吊るせるところがあれば、家でも外でもハンモックを吊るして老若男女、暇さえあれば、時には仕事中でも(!)ゴロンとリラックス。僕も一度商店のおばちゃんのハンモックに寝かせていただいたけど、コレはかなり気持ちいいです。日本に帰ったら僕もハンモック生活を始めるかもしれません。

⑦ヤモリ

もう正直ネタも尽きかけていますが、無理やり7つめ。これはカンボジアに限らず東南アジア全域かと思いますが、ヤモリにはよく遭遇します。「ヤモリ」は日本名で、「家守り」として害虫を捕食してもらえることから人間からは好意的な目で見られるのは東南アジアでも同じようである。日本では屋内で見かけることは少ないけど、東南アジアでは宿の部屋の壁にいるのをよく見かけます。人間に近づいてくることはほぼなく(時々顔の上に降ってくることもあるそうです)、なかなか見た目もカワイイので、僕は彼らと遭遇すると「おっヤモさん。」と軽く挨拶を交わすことも。

⑧サザエさんハウス

えっまさかの8つ目。カンボジアでよく見かけるあの家、まさにサザエさんのエンディングで最後にうつる家にそっくりだわ。

さて、シェムリアップを出て首都プノンペンまでの5日間のうち2日目以降のお話を少し。 2日目、ユーさんの自宅を出発して旅を再開。しかしこの日も走りは快調といかなかった。スピードは相変わらず上がらないし、おまけに向かい風も吹いてきていよいよメーターは時速10kmを下回ることもあった。気分も重たくなり、こんな感じで旅を続けることにひどく不安を覚え始め、そんな時だって子供たちの「ハロー!」はどこからともなく飛んできて反応するにもほとほと疲れていた。昼飯はタピオカ?やもち米、そしてサトイモをやわらかく炊いたものに甘いココナッツミルクのようなものがかけられたスィーツっぽい一品と、きざまれたフランスパンにチリソース、パパイヤの千切りの塩漬け、豚の小腸の煮込みが皿にドカっとのった2品。正直かなり微妙な味だったが、食べないと動けないので完食。午後には少しスピードも回復して、見つけた安宿で宿泊、シャワーはなかった。夜中まで近くの結婚式の爆音が部屋まで鳴り響いていた。

3日目、きのう、おとついとは一転、朝から身も心も軽く快調に進みだした。結婚式に参加したのはこの日であった。ちょうど昼時でイイ休憩にもなった、ご祝儀払ったから多少高い飯代にはなりましたが、得難き体験であることは間違いない。コンポントムという比較的大きな街のゲストハウスで1泊。6$個室で清潔だった。部屋にGさんが出現したが、隙間にもぐりこんだ以降は出てこなかった。

4日目、ついに本当のバトルがはじまることとなる。ここまで路肩は未舗装のもののそれほど走りにくいということもなかった。しかしコンポントムを出て少しすると、ついに全てが未舗装の道とあいなった。するとトラックやバスの大型車が通るとものすごい砂煙がその度に立ち込め、視界前方はホワイトアウト状態。まだそれだけなら良かったのですが、下の路面もすさまじさを増し、あるところは洗濯板のように、砂場のように、昔の舗装が古くなってそこら中陥没だらけ、さらにいたるところで道路工事。日本なら急ピッチで舗装工事を進めるだろうけど、ここはカンボジアやからね、たぶん全然進んでないのでしょう。積んでいる荷物が重い分、段差での体への衝撃も大きく、走行はこの旅一番の過酷を極めた。夕方、見つけたゲストハウスに1泊。しかし相場の倍の値段15$と高く、値切ってみたけど負けてくれなかった、散々な1日。(てゆうかキャンプ道具持ってるんだから使えよ。)

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5日目、プノンペンまでおよそ110km。僕の根性では1日では無理だろう、路面が今日も悪いかもしれないし。そこに救世主は現れたのであった。10km走って2回目の朝飯(!)でフランスパンのサンドイッチをほおぼっている時、気付くと長身の外国人サイクリストが僕の目の前に佇んでいるではないか!ドイツ人の彼・クロース君はベテランのサイクリストでこれまで60カ国を自転車で旅しており、北米アラスカから南米アルゼンチン縦断30000kmも達成した猛者であり、彼の自転車のフレームには手描きで訪問国の国旗が描かれていたそんな素敵ingなサイクリスト・クロース君(「クロース君」って言ってるけど本当は20歳年上)と一緒にプノンペンを目指すことになった。

走り出すとさすが、地球一周分は走っているだろう長身でガッチリ系の彼と、まだ旅が始まって800kmにも満たないガリガリ日本人との力の差は最初から歴然でした。前を走る彼に引き離されないようについていくのが必至。でもこのくらいのペースで走らないと今日のプノンペン到着は不可能だろう。60カ国を旅してきた彼の荷物は意外にも僕より軽装であった。対して僕は全くいかしきれていないキャンプ道具の重さの負担も大きい。彼もキャンプ道具を持ってきていないということは無いと思うが、宿代も飯代も安い東南アジアで、果たして僕ほどの荷物が必要なのかもう一度考え直す必要もあるかもしれない。

商店で休憩している時のこと、彼はドイツ語と英語はしゃべれても行く先々の現地語を細かく勉強しているという風ではない。なのに、英語をしゃべらない現地の人とうまくコミニケーションをとってはお互い笑いあって意志疎通しているのだから驚いた。これが60カ国を旅してきた彼の旅の処世術というものか。色々学ばしてもらえるなあ。

路面は相変わらず「本日も悪路バティック」だけど、クロースの猛ペースにくらいつくことで一人ではまず不可能だった1日でのプノンペン到着が現実味を帯びてきた。しかし最後の最後、ゴールの20kmをきった時点からいよいよ前にいる彼を見失ってしまい、最終的には自然解散というカタチでクロースとの旅は終わりを迎えた。だがおかげで僕はお目当ての宿にも着くことができ、この2日の悪路走行を無事終えたことに心底安堵した、彼には感謝することしきりである。あとからメールを送ると、「そのうち僕もベトナムへ行くよ。」と返事が返ってきた。それぞれ予定している行程は彼とほぼ同じなので、またどこかで会うかもしれない、いや僕のペースだとやはりそれはないのか否か。

ということで日記を書いている今、僕はプノンペンにいる。ベトナムの1カ月ビザも大使館で無事取得できたので、1週間以内にはベトナム編が始まるだろう。さて、これを書き終わったら、昨日見つけたお気に入りのカフェにコーヒーを飲みに行くとしよう。


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