top of page

カンボジアの内戦の歴史について

K1151034.jpg

カンボジアを発つ前に、この国の戦争についても触れておかなければならない。宿で知り合った中国の若い兄ちゃんに「トゥールスレン博物館に行ってどう思った?」と英語で聞かれ、英語が苦手な僕はうまく答えることが出来なかったが、はたして日本語で聞かれたとしても回答は浮かんだだろうか?というほど僕は世界の歴史や政治問題に疎くて情けなくなる。なので最近はネットがつながる環境で時間があれば近年の世界の歴史などを勉強するようにしている。過去の悲惨な戦争などについて知ることは時にはつらいけど、一方で今まで不透明だった知識がクリアーになっていくのを感じるとともに、世界を旅するのにあたってその国の歴史を知ることは至極大切なことであり、その知識は日本に帰ってからも無駄にはなることはない。

僕の訪ねた「トゥールスレン博物館」はプノンペンの町中にある戦争の遺構である。詳しい歴史は他サイトをご参考いただくとして、第二次世界大戦後、フランスからの統治から解放されたカンボジアだったが、ベトナム戦争に加担していたアメリカの思惑により、当時のトップであるシアヌーク王の留守中にクーデターを起こした親米派のロン・ノルが新たに政権を握ることになる。ロン・ノル政権に代わるとカンボジアの共産勢力との間で内戦が勃発。これにもアメリカが加担するが、アメリカがベトナム戦争から撤退したのち、バックアップを失ったロン・ノル政権は共産勢力のクメール・ルージュにより首都プノンペンは陥落。クメール・ルージュのトップであるポル・ポトにより新たな国家がスタートする。これまでの内戦により国内の食料が不足して飢饉が予想され、カンボジア内の難民はプノンペンに流れ込んだが、ポル・ポト政権は食料を自給するため難民を農村部においやり、強制労働に駆り立てた。ここからさらに悲惨なのが、知識人は反乱を起こす可能性があるとして虐殺、それにとどまらずあられもない理由で自国民を虐殺し続けたのだ。

「トゥールスレン博物館」はその収容所であり、その場所で多くの命が殺められた。館内は当時のベッドや遺骨などが保存されており、その生々しさには言葉を失ってしまう。この場所だけでない、カンボジア国内でたくさんの住民が虐殺により亡くなった。

博物館を離れる際、手を合わせて亡くなられた方々への冥福を祈った。カンボジアの内戦は1991年に終結する。都会は発達してきたけど、農村部はまだまだ発展には乏しい。地雷もまだ除去が終わっていない。だけどを平和を手に入れたカンボジアの未来はこれからなのだ。ところでカンボジアの子供たちがなぜこんなに人懐っこいのか疑問に思っていると、出会った日本人の旅行者が「戦争がないだけで彼らには希望があるんだ。」と言っていた。小さな子が昔の戦争のことを知っているとは思えないが、彼らにはこれからのカンボジアをますます発展させてもらいたいし、この平和が恒久に続くことを願ってやまない。


bottom of page