Road to the Dalat Part 1
タイでもカンボジアでも、選んだ道はほとんど平坦で登り下りに苦労することは無く、慣れない初めての海外での走行だったのでそれは有難かった。しかし草原や田園が続くばかりで正直景色には飽きかけてきたころ。旅を初めて1カ月半、日本と異なる空気と走行にもすこしずつ慣れてきたところだ、そろそろリズムを変えてみるのも面白いかもしれない。 そこで僕が目指そうと思った場所はベトナムのダラットだ。ここを知るきっかけは途中出会ったサイクリスト3人が訪れたとのこと。さらにホーチミンで仲良くなったベトナム人の女の子が私の故郷で景色がキレイだから是非行ってみるといいと言ってくれたのだった。さてそこを目指すには少し覚悟が必要だ。ホーチミンからダラットまでは300km、ダラットは高原の町で標高は1500mの場所にあるという。 「おもろい、やってみなはれ。」 心の中でそう聞こえた。ダラットまでの300km6日間、そう簡単な道のりではなかったようです。長くなりそうなので2回に分けて書こうと思います。
お世話になったEZ STAYのみんなに別れを告げる。正直もう1泊くらいしても良かったが、ダラット出身の女の子に紹介してもらった知り合いのダラット在住の方が待ってくれているとのことなので、後ろ髪を引かれる思いを振り切り、僕は自転車に跨った。バイクの大河の流れを進み分け、まずはホーチミン市内を脱出する。郊外の国道1号線に乗ると相変わらず交通量は多いけど町中よりは走りやすくなった。途中に以前遊びに行ったベトナムの奇特なテーマパーク「スイ・ティエン公園」の前を偶然通りかかったので、もう一度外から写真を撮っておいた、やはりすごい迫力だここは。関西出身の方なら分かると思うけど「探偵ナイトスクープ」風に、「『パラダイス』をお金かけて本気で作ったらこうなった。」が、この「スイ・ティエン公園」だと思う。 この日は特に何事もなく順調にことが運んでいた・・・と思っていたのだが久々の自転車旅である。荷物の重さのせいだろう、1日の終盤に右足のアキレス腱が少し痛み出していた。まだ走りたい気持ちであったが、大事をとって今日はここで終えることにしよう。さて、宿探しだ。国が変わるごとに宿事情がどのようになるかドキドキする。タイやカンボジアの現地語ほ書体は外人にはまず読むことが出来ない。それでもカンボジアは「GUEST HOUSE」と親切にも英語で書いてあることが多かったが、タイはそのまま現地語表記で書かれていることがあり、何屋かさえも分からず最初ものすごく不安になったものだ。しかしベトナム語の書体はアルファベットが基本である。見慣れない点としては文字の上にちょろっと書かれる「発音記号」があるけど、まずは何となく文字としては認識が出来る。(ちなみにベトナム語は「声調言語」といって6種類の発音があり、例えば「ma」という単語でも表記される発音記号の種類で全て発音と意味が異なる。ベトナム語は世界の言語でも発音が難しいらしく、英語やスペイン語のように何となくのローマ字読みも当てはまらないことが多く、最初に述べたように発音の仕方が間違っていれば現地のオバチャンにも「ハア?」って顔をされる。)さて長々と書いたがベトナム語で「宿」を表す言葉は「KHACH SAN」「NYA NGHI」「NYA TRO」(発音記号の表記は省略しています。)のようだ。読み方は順に「カックサン」「ニャーギ」「ニャチョー」だそう。時々「HOTEL」「MOTEL」と書いてくれている所もあるけど、これを知っておけば夕方が近づいてきたころ宿探しに役に立つ。1日目の宿、そしてこれ以降続く日もお世話になったのは専ら「NYA NGHI」「MOTEL」であった。大きな街には「HOTEL」や「KHACH SAN」も見かけるが郊外にはこの「NYA NGHI」「MOTEL」が多い。後から分かったことで、うすうす感じていたけどこの手の宿「旅の宿」であると同時に「ラブホテル」や「連れ込み宿」といった感じで使われることも多いらしい。かといって日本のそれのように艶めかしい雰囲気もお城のような豪華な造りでもなく、簡素ではあるけど清潔にはしてあったし、値段も500~1000円程度でリーズナブルだ。夜中売春婦が押しかけてくる、なんてことも今のところない。(僕の友達はアジアの安宿で貞操を奪われそうになったことがあるらしい。)
2日目の朝、宿を出発してすぐに異変に気付いた。前日痛めたアキレス腱が全くもって治っていなかったのだ。ペダルをこぐ度に多少の痛みが生じる。激痛ではないので進むことは出来るがこぎ進めることは足に良くないだろうしこの先が不安になる。僕は泊まった町の小さな診療所に勇気を出して踏み込んだものの、ベトナム語が出来ないから相手にもされなかった。仕方がないので今度は薬局を探して、薬剤師さんに身振り手振りで「足のここが痛いですねん!」って訴えたら塗り薬を出してくれた。説明書きはほとんどベトナム語で読めないけど、わずかながら用法として英語で「1日3~5回塗る」と書いてあるのだけが分かった。これを塗ってしばらく様子を見ながら走ってみることにする。
ダラットまでのメインルートである国道20号線に入ると空気は変わった。交通量も多少落ち着きを見せただけでなく、道の両脇には林が現れ、菊の花の栽培を行う畑も見られた。この変化には素直に心躍らせたいところであるが、足の状況が気がかりでそういう場合でもなかった。これからどんどん田舎に突入していくのだ、さてどうなることやら。
さあ、ここでまたカフェトークでも。ベトナムの郊外を走っているとちょくちょく見かける「ハンモックカフェ」。店は屋根と柱さえあれば、あとは柱にハンモック吊るして、コーヒーを置けるプラスチック製のテーブルがあれば「ハンモックカフェ」の出来上がりといった、本当に簡素な作りの店が多い。カンボジアではハンモックで昼間から寝ている人が多いと前回書いたが、ホーチミンではバイクの上で器用に寝ている人を多くみかけた。そしてここにきてハンモックカルチャーが僕の目の前にあらわれたのである。体験しない手はない。いつものように「カフェ・スア・ダー」を頼んでいざハンモックへよっこらせ。すると、これが、ワハハ!なんて気持ちいいんだろう!?プカプカゆりかごのようにゆられて夢心地。コーヒー1杯50円程度、それでこの幸せを味わえるのだから、水分休憩ついでに1日2回はハンモックカフェでプカプカを楽しんでいた僕でありました。 2日目、足は少し痛みながらも50kmは走ることができたし、旅も楽しめていると感じる。その夜、ローカル食堂でたらふく食べて、夜風に当たりながら僕は気分よく宿泊している安宿までの道を歩いた。
3日目、午前中こそ現地の人とコミニケーションをとったりして体調も気分も良く走っていたのだが、午後からはゆるいアップダウンが続くようになり、まるで「アメとムチ」の状態だ。登ったなら下ってほしくないというのは全ての自転車乗りの願いであるけど・・・。この日は日差しもキツくて気分も悪くなってきた。なんとか50kmは走って宿に宿泊。足は昨日より若干痛む頻度が多くなった気がする。まだ本格的な登りはこれからというのに大丈夫だろうか。 後半戦に続く。