たたいま、半袖の国。
それは峠の途中での出会いだった。 ダラットを出発して僕はニャチャンという海沿いの街を目指していた。ダラットを出るのは名残惜しかったけど、ある時期の前に大きな街に着く必要があった。そのある時期とは? この時、2月の中頃。実はベトナムはこれから本格的な正月を迎えるのです。日本では馴染みのない「旧正月」(ベトナムでは「テト」と呼ばれます)という文化がベトナムにはあり、とても大切にされているのです。それは日本の正月と同じように、普段は離れて暮らす子供たちもその時は実家に帰り、地元で過ごします。(また日本と同じくこの時期に旅行に出かけるベトナム人もいるそうです)正月ということで当然多くの人も仕事が休みになります。さて困ったのはこの時期、宿や食堂も休みになる可能性があるということです。テント泊は出来ても、食べ物が入手できないとなるとこれはかなり困ったことです。果たしてベトナムの正月がどれほどのものなのか未体験なので、ひとまずニャチャンのような大きい観光地に行けばまだ安全じゃないかと思ったのだ。
さて、ニャチャンへは海沿いのファンランという街を経由して4日間でたどり着くことができた。その間にもいくつか楽しい出会いがあったのだが、その中でも不思議だったものを一つご紹介したい。 峠を下っている最中であった。お寺が1件向こうに見えたのである。どうする?ちょっとのぞいてみるか?でも停まるのも面倒やな。いや、ちょっとだけやったらエエか。実はベトナムではお寺よりキリスト教の教会を見る機会の方がずっと多く、珍しく感じたのもある。ベトナム人のおよそ8割は仏教を信仰とされているが、日本と同じ「大乗仏教」で宗教への思い入れは隣国のタイ・カンボジア・ラオスなどに比べると大らかだそうだ。家や店の中にはカラフルな仏壇をよく見かけることがあり、ご先祖様への思いは大事にされているようである。 さて、そのお寺にてまずは仏様に手を合わせた後、少し写真を撮らせてもらうことにした。そうすると男性が僕のもとにやってきて火のついた線香の束を手渡してくれた、お参りしてくれとのことらしい。10本近くあった線香を1本ずつしかるべき場所に差して、手を合わせた。それが終わると男性はこっちに来いと自宅のようなところに僕を招いた。中には男性が2人と女性が1人、年齢はみんな40~50代といったところか。今から昼ご飯を食べるところみたいで、お前も食っていけよと。さっき食ったばっかやけどな・・・まあせっかくなんで。白ごはんに、パパイヤの炒め物、そして豚のサイコロステーキ、シンプルな味付けでとても旨かった。誰一人として英語はしゃべれないのだけど、なんとなく会話をしながら僕はエラく気に入られたみたいだった。今日はファンランまで行くと話すると、その中のマダムが「私はファンランに住んでいる。」とこれはあくまでその時の僕の推測でそう言ってるように感じただけである。さらに、「ファンランに着いたら電話をちょーだい!」ということで番号を書いた紙をいただいた。仏様が彫られたお守りのペンダントまでいただき、なんだか申し訳ないのと、お賽銭も出してなかったので、机の上に5万ドン(300円ほど)を置いておいた。
みんなにお礼を言って、坂を下りだす・・・するとさっきのマダムもバイクで着いてきた。僕のペースに合わせて走っている。もしやこのままファンランまで一緒に行くということだろうか?今は下りだからいいけど、平地に入ったらバイクにしたら自転車のスピードなんてあまりに遅すぎると思うんだけど。やがて坂道を下りきり、空気が一気に生暖かくなったのを感じた。ただいま、半袖の国。集落の中を走っているとマダムが「こっちに入るぞ。」と指差して1軒の店に入っていった。その店先には「COM」と書かれていた。「COM」とは「ご飯」のことですなわち食堂のことだ。まさかな?30分前食ったばかりやで。てっきりお茶でもするのだと思っていると食堂のオバチャンは僕たちのご飯の準備をしている模様である。僕はマダムにもう腹いっぱいだよと告げたが、まあまあちょっと食ってけよ、と聞かない。やがてボウルに山盛りのご飯と鳥のボイルの切られたのがのった皿、薬味、スープがやってきた、いわゆる「コム・ガー」である。仕方ないけど食べるか・・・。見るとマダムもガツガツ食べている。あなたさっき食べてましたよね?鳥が皿から無くなったと思ったら食堂のオバチャン、なぜか新しく切ってまた皿に盛ってくる、ちょ、もうエエーっちゅうの。なんとかそれなりに完食。ちなみにこれもおごりなのかな?いや、自分のくらいは出す意思見せないと・・・マダムに「バオニュー?(いくら?)」と聞いた。すると「モッチャム(100000ドン)」と答えた。僕は耳を疑い、もう一度聞いたけど同じだった。「10万ドン」というとだいたい「500円」くらいである。食堂のご飯はだいたい100円~200円くらいで済むことが多いのに、500円って高くない??とりあえずオバチャンにお金を渡す。するとマダムはお金を出す様子が最後まで無かった。え?俺がマダムの分まで払わんとあかんの?WHY?さらに50万ドンで払ったからおつりは40万ドンであるはずだったが、かえってきたのは37万5千ドンであった。あとの2万~は?と悩んでいると、「500円が飯代で、その2万~は2人の飲み物代よ。」と教えてくれる。はあ、なるほど、いやいやそういうことじゃあ・・・。まあさっきお寺で親切にされたし、たった500円のことで何か言うのは嫌やしいいか。しかしこのマダムに着いていって大丈夫だろうか?なんかイイように利用されるんじゃないか?そんな不安がよぎりはじめたら「じゃ、アタシは山の上に戻るから」という風にさっき来た道を指さした。あ、そうなの?一緒に行くんじゃないのね。というわけで僕は再び一人旅に戻ったのだ。ん~なんだったんだろう。しかし損得勘定が働く自分に少し嫌気もさしていた。人に出会った時、この人は僕に得を与えてくれる人なのか、損をさせる人なのか。そんな単純に2つに分けられるものじゃないけど、僕は人と出会う時、いかに自分に都合の良い人物なのかを自然と頭で考えるようになっているのではないか?そう思うとなんて自分は卑しい人間なのだろうかとも思う。でも確かに旅行者をだます人だっているのも事実。手放しで全ての人を信用するわけにはいかない、難しいところではある。別れ際、僕は嫌な顔をしていなかっただろうか?少しでもお世話になったのに、一抹の寂しさを覚えた。
そう言いながら、一人になって僕は少し気が楽になった。パーカも脱いで、シャツ1枚になると久々の南国の空気に喜びを感じるとともに、差すような日差し、生ぬるい風が肌を包み、僕は早くも高原の涼しい風を懐かしく思い始めていた。 するとしばらくして後ろからクラクションがプップッと鳴った。振り返るとなんと、マダムがバイクで追走していて、こちらにニヤッと白い歯を光らせていた。たくさんの「?」マークが頭の上に浮かんだ。さっき山に行くって言ってなかった?僕の勘違いだったのか、これからファンランまでやっぱり一緒に行くのだろうか?すると「じゃあ。」と手を挙げて僕を抜き去っていった。「?」はまだ消えない。これで終わりかな?でも終わりじゃなかった。それからしばらく経った後だった。またどこからともなくマダムはバイクで現れた。そしてまたどこか行った。僕があまりに遅いので自分は休憩しながら一緒に行こうという感じなんかな?そう推測したのだけど、結局この日以降マダムに会うことは無かったのである。
ファンランに夕方たどり着いた。電話しろみたいなこと言ってたよな・・・。でも泊めてくれるかどうか知らないし、だいたい言葉も通じないのにどうやって電話で会話しろというのだ。僕はいつも通り宿を探してチェックインした後、マダムの電話番号にメッセージを送っておいた。ネットを駆使してベトナム語で「着いたよ。今日はありがとう。」という内容の文章だ、ただし発音記号はついてないので意味が通るかは分からない。すると返事が返ってきたが、ベトナム語なのでさっぱり分からない。翻訳サービスや、辞書で言葉を調べたりもしたが、ベトナム語は一つの単語に多数の意味が存在するので、どうしても文章の解釈には至らなかった。・・・なんかよー分からんけどエエか、寝よ。 なんか不思議な出会いやったな、でも悪い人じゃなかった。と、過去のことに思い始めていたら、翌日電話がかかってきた。マダムだった。ベトナム語でホニャララ言ってるけど全く意味が分からず、うーんと悩んでいると向こうはケタケタと笑っている。そのうち電話が切れた。そうやね、(あの夕方電話をしていても)やっぱそうなるよね。同じような電話はあと2日ほどありました。その度に会話が通じずこっちは悩んでむ向こうは笑って、時々お寺のおじちゃん?らしき人と電話を変わってくれることもあったり。とりあえずニャチャンにいるよ、それだけは伝えたつもりだ。もしかしたら心配してくれているのかもしれない。・・・というわけで話の締め方がよく分からないけど、お寺の方たちとの出会いの話でした。
途中お金のケチケチした話が続いてお見苦しかったかと思いますが、旅先の心情を感じていただければと思います。しかし僕はストイックに節約しながら旅しているわけでなく、野宿より宿の方が快適やしとか、多少ボラれててもイイかとも思っていたりするけど、もともとそうだけどさらにドケチさが増してる気もしてます。ヨーロッパじゃそんなこと言ってられないですけどね。 無事テト(旧正月)前にニャチャンに着くことが出来た。道のドン突きには海が広がっていて、この旅初めての海との出会い、懐かしさと、潮風が肌にまとわりつくのを感じた。