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アラウンド・ローマのウロウロ記

ローマに着いて早2週間が経つというのに、僕はいまだローマから北へ100km程行った所をウロウロしていた。ただあてもなく彷徨っていたのではなく一応目的はあってのことだった。ここ最近の動きをまとめてみたいと思う。

この辺りに長居することになった一番の要因はボルセナ湖の存在だと思う。ローマを出発して4日、慣れない土地の旅始めに多少の苦労があったが少しずつ心身を合わせ始め、ようやくたどり着いたのがこのボルセナ湖だった。ここに着いたら少なくとも2泊はしてリフレッシュしようと思っていた。東南アジアでは宿代が安かったので、1泊3ドルの宿で心ゆくまで滞在ということが出来たがヨーロッパではそうはいかない。しかしキャンプというのも慣れたら快適なもので、それが分かったのはここボルセナであった。到着翌日、朝シャワーを浴び、洗濯物を干して、ゆっくり昼飯を作る。小さなキャンプ場で、僕の他に2、3組の老夫婦のキャンパーがおられ、この方達はキャンピングカーで、あくせく移動するのでなく、1カ所気に行った場所でのんびりするのがお好きのようで、ご飯を食べている時以外は昼寝したり本読んだり散歩に行ったりと本当にゆったりとしている。僕も昼ごはんを食べた後は彼らにならい、木陰の原っぱに座り空を眺めた。穏やかな時間が流れていた。

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近くのボルセナの街に行ってみる。箱庭のような小さな古き街の路地を散策。古城のてっぺんからは街並みと湖が見渡せ、ツバメたちが気持ちよさそうに空に舞っていた。湖の方へと足を運ぶと、少し曇りがかった空は静かな湖面に薄い水色で映し出され、その情景はなんだかとても心に沁みて、次の瞬間僕は思う。「もう1泊しよう。」

3泊したのち、僕はイタリア人の友達に会うため一度ボルセナを離れることにした。そのイタリア人とはフィリピンの英語学校で同じ部屋に泊まっていた。フィリピンを出るタイミングが2人とも似ていたので、彼の故郷で会おうと約束していたのだった。彼の住む村に着いたがここからが一悶着。住所を聞いていないのだ。インターネットで連絡を取るためWIFIの使えるバールを探したがなかなか見つからなかった。約束の時間を過ぎ、焦りが募る中、地元のオジサンが僕に「何探してるんだ?」と聞いてきたので事情を話すと、「そいつの家なら知ってる。地図を見せてみろ。うーん、ちょっと説明しずらいな。このオッサンの車に着いていけ。」と新たに登場したオジサンの車についていくことに。そのオジサンの車に着いていくと、今度はまた新たに登場したお爺さんについていけという。話によると僕の友達のお爺さんらしい。そのお爺さんの軽トラに自転車を積んで僕も荷台に乗ったまま、町の郊外へ。1軒の家が見えたかと思うとその2階のベランダで4人の男女が僕に手を振っている中に友達のピエトロ君がいたのだった!

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聞けばピエトロは今日家に帰ってきたばかりで、しかも他の国でのワーキングホリデーも含め1年近くの長い旅から帰ってきたばかりの大事な日に来てしまったにも関わらず、ピエトロを含めご家族と友人みんなに歓迎していただき、家庭料理を食べさせていただいたり、自宅にも2泊させていただいた。サウンドオブミュージックの舞台にもなりそうな、オリーブやリンゴ畑に囲まれたのどかな田舎でのホームステイと、遠く離れた土地で出会った者同士の再会はとても得難き体験であった。

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僕は再びボルセナに戻ってきた。「レギュラー」でいらっしゃる夫婦の方々からも「おかえり!」という顔で出迎えられた。写真やホームページなどのデータ整理のため2泊するつもりだったが、湖で夕暮れを眺めていると、また1泊ここにいたくなってしまった。僕は個人的にこれを「ボルセナマジック」と呼んでいる(単にサボりたいだけなのですが)。

これでようやく北上するのかと思うと違った。僕は一路、西へと進路をとった。自転車の世界3大ロードレースの一つである「ジロ・デ・イタリア」がちょうど今行われており、しかも僕の現在地からそう遠くない場所がコースに設定されているようなのだ。日本にいる時に時々テレビでロードレースを見ていたのでこれは見に行かない手はないと思った。

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ジロは3週間という長期に渡って行われるレースで、総合タイムや山岳・区間の総合ポイントを競います。僕の見に行くのは第6レース、そのゴール付近の街に向かうことにしました。しかしボルセナからその街までは110km以上距離があります。ボルセナで「追加の1泊」をしたため、この距離を1日で行かなければなりませんでした。この時期のイタリアは日が長く、午後8時くらいになってようやく夕日が沈むので長く走ることが出来るのですが、この日9時半にボルセナを出発して出来るだけ頑張ったにもかかわらず、度重なるアップダウンのため90kmでこの日のタイムリミットを迎え、アルビニアという海沿いの小さな街のキャンプ場で終えることに。ヘトヘトでもし間あっても110kmどころの話ではなかった。

翌日、選手たちが通る「はず」の街に向けて出発。レースは昼からなので、ゴール付近だから昼過ぎには到着すればいいだろう。しかし地図を見て気になった。最短ルートにはジャンクションらしき部分が表記されていた。この道って自転車通れるの?とキャンプ場のスタッフに聞いてみると、「危ないから電車を使った方がイイわ。ここまでは運賃だけで行けると思うけど。」お、おお?電車?そう、ヨーロッパでは電車に自転車をそのまま載せれることがあると(もちろんケースバイケースでしょう)、インターネットで見たことがある。もしそれが可能であればビザの関係で3カ月しか滞在できないヨーロッパだからいずれ使うつもりであったが、まさか今その時が来るとは思っていなかった。もちろんヨーロッパで電車に乗ること自体初めてで普通の乗り方さえ分からなかったが、結果僕は目的の街までフル装備の自転車をそのまま電車に積み、自転車なら2時間かかりそうな距離をわずか10分ちょっとで着いてしまったのだった。あ、有難いけどあまりにもあっけない・・・。

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というわけで目的の街「グロセット」に着いたもののレースが行われるムードなど一切なく、ポスターさえ1枚も張っていない。この町じゃなかったのか?ネットを使うべくピザ屋に入ったがWIFIは無いようだった。ピザ屋の親父は忙しく店内を歩き回っていて聞ける雰囲気ではなかった。参ったな、ここまで来たのに。泳いでいた視線の先に1冊の雑誌が置いてあるのが目に留まった。なんと自転車雑誌だった。開くと、どタイムリーにジロの特集が組まれており、今日のレースの行程表が書かれていたのだ。すると今いるグロセットは明日のスタート地点で、今日のゴール地点はここではなく、20kmほど離れたcastiglioneという街だった。それさえ分かれば水を得た魚も同然。僕はピザ屋を出てすぐにその街へと向かった。

走っていてもずっとなんの告知物もなく不安が募ったが、町の1km手前くらいになってようやくジロの文字が書かれたポスターを1枚だけ発見したが、僕を興奮させるには十分だった。期待は確信に変わった、川を越えると選手達が通るであろう道が柵で区切られており、その周りは人々で賑やかであった。この日のゴールの街とあってスポンサーの出店やステージで広場は埋めつくされ、音楽が鳴り響き、地元の人や観光客で賑わっている。僕はなんとかレースに間に合ったようである、しばらくしてコース脇に人が集まりだし、いよいよ選手達が向かってくる時が来た。皆固唾を飲んで道の先に視線をやる。警備のオートバイや車が数台通った後、向こうに歓声が起きた。その直後カーブの向こうからもの凄い数の選手達がやって来た!そして僕の前を瞬く間のスピードで走り去っていったのである。それは本当に一瞬の出来事だった、これがテレビで見ていた世界最高峰のロードレースなのだ。街で行われていたイベントも含め、お客さん達の笑顔といい、レースといい、僕はなかなか興奮が冷め上がらなかった。後から知ったことだけど、残念ながらゴールの直前で落車が起きてしまったとのことである。落車に関わった方々の怪我の無事と回復、そしてこれからのレースも安全に行われることを祈りたい。

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というわけでかなり長くなったけど、最近の一連の動きをまとめてみました。これでようやく北上していくわけだけど3カ月の滞在のうち、イタリアでかなり時間を費やしそうな感じですな。しかし電車は本当に便利であった。日本一周の時は電車を使おうなどと思いもしないししたくもなかった。しかし今回の旅はスタートの時点で特に目的地もゴール地点もその場その時の判断で変わっていくので、電車を使うことにあまり抵抗はない。何が何でも自転車で!なストイックな性格でもないし、楽の方がいいに決まってるし、今後も味をしめて使ってしまいそうやね。


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