スペクタクルより人情喜劇?
さあ、大観光地だ。花の都・フィレンチェ。先日シエナでは「敗北」を喫していた僕。しかし前回のことは忘れて、ここはまっさらな気持ちで向かい合いたい。
川沿いに自転車を走らせ、いざ歴史的建造物の立ち並ぶエリアへ。やがて大きな教会の前にたどり着く。教会の前はシエナのカンポ広場のように大きく広がっている。うん、この雰囲気は良い感じだ。ここで映画を撮ったらイイ絵が生まれそう。真ん中に主人公が立ち、両手を広げて演じる様子が想像できた。さて、イタリアに来てこれまで未だ無料でない教会や美術館に入ったことは無かった。自転車を外に置いておくのが心配というのもあるが、お金をケチることが大半の理由だ。でも今日は入ってみようと思う、フィレンツェでは少しお金を使っても良いだろうと前々から決めていた。さて肝心の内部の感想なのだが、空間の広さと厳かな雰囲気には心動かされるものはあったが、ロクな知識も無く壁にズラっと並ぶ立派な宗教画を見たところで何かを感じることは無かった。(お金のかかる)教会は今後積極的に入らなくても大丈夫かな・・僕ごときが入ってもそれほどの価値は無いようである。
さあ、今日はリストランテで食事をしてやるのだ。ローマを出てからはほとんど自炊でやってきた。自分が満足できるくらいのものは作れているし、安くたくさん食べれて、ヨーロッパ旅の重要な基礎となっている。しかしプロの味を経験しておくのも勉強である。今日は勉強させていただこう。いくつかの店を前からのぞいて1軒の店に決めた。しかし店に入るなし、あまりウェイター達の対応はよろしくない。なんだか愛想が良くない気が・・そう思い始めたころ、あることに気付きハッとした。僕のその時の服装といえばジロ・デ・イタリアのピンクのTシャツと、下はナイロンの半ズボンであった。ここは大衆食堂ではない、テーブルマナー云々言われる世界。これは失礼と思い、カバンの中から落ち着いた色の長袖と、下は膝下部分を着脱可能なトレッキング用のズボンだったため、「長ズボン」使用にして、そそくさと出来る限りの身なりを整えた。運ばれてきた料理は、貝や海老の入ったスパゲッティ。なるほど、こういう盛り付けか。麺は絶妙な加減のアルデンテ、魚介の旨みの浸み込んだソースが麺にからんでいて、これは確かに美味しい。ただ美味しいのだけど驚くような発見はない、この味なら自分でも再現は出来そうな気がする。ある程度味の想像の出来るようなメニューを頼んでしまったからな、もっと何が出てくるか分からないようなものを頼めば良かっただろうか。・・・と素直に美味い!と言えればいいのだけど、これなら俺でも作れるとか、もっと安くできるなとか、量が少ないなとか、余計なことばかり考えている自分がいる、やれやれ。
食後にエスプレッソを飲んで、お会計を。11ユーロで良かったはずがレシートを差し出されると13ユーロ、内訳に「謎の2ユーロの項目」が。これは一体どういうことだろう?おそらくはテーブル代ということなのだろうか。それともマナーのなってない貧乏人へのいたずらだろうか?どうも海外旅行を続けていると高い値段を言われる度に「ボラれてるのではないか?」という意識が働いてしまう。このまま払おうともしたけど、理由も分からないのに払うのもなんだか悔しい。クスリとも笑わない男性ウェイターに恥をかくのを承知で「この2ユーロってなに?」と聞くと、レシートに書いてある項目をそのまま読み上げただけ。いや、それじゃ説明になってないでしょと思ったけど、まあおそらくテーブル代とかサービス料とかそんな類だろう。たった30分座って、大したサービスも受けてないのに払うのもなんだかな・・・しかし聞いちゃったね、2ユーロってなに?って。ああ、恥ずかしい。レストランを出た瞬間、僕は敗北感に包まれた、惨敗な気がしている。分かったことは僕はリストランテに入るような資格はないということ。僕がもう少しまともな大人になった時、またお世話になることがあるだろうか。まともな大人って・・俺もう30前なんだけどね。
店を出てから最初街に来た時の昂揚感も薄れ、なんだか色あせて見えてきた。それと同調するかのように、さっきから降りだしていた雨は強さを増す。お金を使ってしまったのでバールで雨宿りするのももったいない気がして僕は建物の屋根で雨宿り。雨はなかなか止むことはなく道行く人々を観察をしながら2時間ほどボヤっと空想にふけっていた。
待っていてもラチが開かないので降られながら無理やり観光を続けてやることに。次第に雨も上がった。しかしシエナと同じように、いかんせん建物は立派なのだが感じることが少ない。その中でもドゥオーモだけには圧倒された。これまでヨーロッパで見て来た歴史的建造物は主に単色であったが、フィレンチェのドゥオーモは大胆な色の選択をしながらも少し色あせた色調には嫌味がなく美しい。そしてこの圧倒的なる迫力だ。これにはしばしの間見とれてしまった。でもやっぱり感じてしまう。まるで大人数のエキストラを使った歴史映画みたいに、そりゃあ迫力はあるでしょうと。僕はもっともっと小さい田舎町の方が好みのような気がしている。1時間もあれば全ての道を歩けるようなサイズの街。再び例えるなら、一人の人間の小生を描いたような大きな展開もない人情喜劇。それに当てはまる街といえば僕の中ではボルセナや移動の途中に立ち寄った名も覚えていない村・・・。素敵な街だと思う、フィレンチェは。でも僕にとっては少し大きすぎる。暗くならないうちに街を後に。しかしここでもまた帰り道を見失い、かなりの大迷子。帰ってきたころには夜の8時を回っていて、ドッと疲れてしまった。
翌日はパソコン作業に割り当てようと思うも雨と雷の避難でほとんど進まず。その翌朝は出発するつもりだったが、またも雨。おまけに冷たい風が吹き、僕は出発をやめ、テントに引きこもりセーターを着込み寝袋にくるまって寝込んだ。この度も「はまらなかった」フィレンツェの街。気分は落ち込んでいく。
午後から雨が上り、寒さも収まった、僕は2日前見れなくて気がかりだったドゥオーモの塔に登りにいくことにした。もう何も期待しない、そう思って街へと向かう。自転車をこぐのをやめてゆっくりと歩いてみた。すると通り過ぎていた小さな店などを1軒1軒見て回るとなかなか面白いことに気が付く。写真を撮るテンポが良くなってきた。
ドゥオーモの塔からの風景は素晴らしく、見ないで去ったら後悔していただろう。2日前は大きな街を「迫力だけのスペクタクル」と揶揄したが、くすんだ朱色の屋根屋根を見ていると、パッと大きく見える街だけど、実はそれは小さな個の集まりで、そこでは日夜「人情喜劇」が繰り広げられているのだろう。「木を見て森を見ず」というが、今回に限っては「森を見て1本の木を見ず」だったのかもしれない。何も考えず、歩くスピードで周ってみたことで、この街が少し自分の中に入ってきたような心地よい満足感を胸に僕は帰路に着いた。だからといって、大きな観光地は当分大丈夫という考えに変わりはないけど。