アルプスを自転車で越えるということ
アルプスを自転車で越える。そんなことは可能なのか?自転車が走れる道自体あるのかもよく知らない。でもツール・ド・フランスやジロ・デ・イタリアなどのサイクルレースでもアルプスを自転車で走っている。そして僕の好きなサイクリストの先輩夫婦もやはり自転車でアルプスを旅されていた。しかしどのルートで越えていけないいのかネットで探してもいまいちつかめないままだったが、シエナで出会ったフランスのサイクリスト夫婦が、ここならというルートを指し示してくれた。それがイタリア・ドモドッソラ(Domodossola)からスイス・ブリッグ(Brig)までをつなぐシンプロン峠(Simpron Pass イタリアではシンピオーネSimpioneと呼ばれる)であった。高速道路ではないようだが現地に来て自転車は進入禁止となったら無駄足だ。僕はふもとの街ドモドッソラに来るまで何人かのイタリア人に「ここって本当に自転車でいけるの?」と聞いたが最初は難色を示したけど、近づくにつれて肯定的な意見が多くなった。結果からいうと特に問題はなさそうだった。国境から少し離れた場所に税関?的な施設があって、トラックの運転手などが書類を持って並んでいたが自転車は特にお咎めもなかったので「たぶん」大丈夫と思う。ただし後で書くけど峠はかなり長く、大型トラックが多くトンネル内で抜かされる時はかなりの恐怖なので、もしこのサイトをご覧になっている自転車乗りがいらしたら電車でパスしてしまうのも一案ということだけ示しておく。
ドモドッソラにはキャンプ場が無かった。野宿も考えたけど空はどんより曇り、雨がポツポツと落ちていた。ここの前にいたマッジョーレ湖では2日連続で夜は雷雨に見舞われ、アルプスの天気の変わりやすさを実感し、少し自然への脅威を感じていたのでお財布には痛いところだが宿に泊まることにした。着いた宿はレストランの着いたイタリアらしい白壁に緑の窓枠の可愛らしく小ぎれいな建物。この前のフィレンツェのレストランみたいに失礼あってはならない。僕は汚いレインコートを脱ぎ、かしこまった表情でレセプションに向かう。お値段は朝食付き40ユーロ、うむむ。5秒考えたけど今日は仕方なしと、僕はカードを出して支払を終えた。ヨーロッパの宿なんて僕にとっては敷居が高すぎる、そう思ってかしこまっていたけど、宿の方達はとてもフレンドリーで小汚い日本人をとても快く受け入れてくれた。彼らは遠い地からイタリアまで来て自転車でシンピオーネを越えようということを知って心から嬉しそうだった。重い荷物を全て部屋まで運んで下さり、入った部屋はそれは本当に僕にはもったいないくらいの素敵な部屋で、思わぬホスピタリティにホコホコと心温まるイタリア最後の夜を過ごしたのだった。
翌日いよいよシンプロン峠へ。前日の天気予報は良好ではなかったが、当日は終日ほとんど雨が降らない曇り空で汗もそれほどかかず一番都合の良い天気になってくれた。峠の頂上は標高2005m。ドモドッソラは標高270m程なので少なくとも標高差1700mをフル装備で登らなければならない。傾斜は最後まで緩やかでイタリアの国境まではそれほどの苦労もなくさくさくと登ることが出来た。あれ?以外と簡単に着いてしまうのだろうか?
やがてイタリアとスイスの国境。イミグレーション(入国審査)は無く、「峠の茶屋」と言わんばかりにバールが1軒あったので「別れの1杯」ということでエスプレッソのドッピオをクイッと飲んで1カ月と数日滞在したイタリアをようやく出ることとなった。グラッツィエ!チャオ!
さあスイスである。しかし峠はここからが本番だ。峠の頂上は国境ではなく、スイス側をさらにずっと進んだ場所にある。少し戻ればイタリア側に峠を越える電車があるが、ここから先は峠を下ったブリッグまで無いので、僕は覚悟を決めてペダルを再び回し始めた。 傾斜は少しイタリア側よりも増した気がする。おまけに今日の出発から頂上までは距離がかなりある。モハメド・アリ戦のアントニオ猪木の「アリ・キック」をくらうがごとく、僕の足には徐々に疲労が蓄積され始めていた。
スイス側に進んでいくにつれ、いかにもこの国らしい牧歌的な風景が現れだすようになった。斜面に続く清純な白いお花畑、その丘にポツンポツンと佇む石屋根・黒壁の家屋、周りを囲む急峻な山々。ああ、これやこれ、スイスに来たんやなあ。子供のころからヨーロッパには憧れていた。とりわけスイスにはそれは美しい風景が広がっているのだろう、いつか行ってみたいなあ、と。しかしまさか自転車で来るとは子供のころには想像するわけもないけど。スイスもそうだし、誰でもが名前は知っている「アルプス」を自転車で旅しているのだと思うと、心が震えた。
しかしそう浮かれている場合でも無かった。アルプスの「アリ・キック」は僕の体力を想像以上にむしばみ、僕は少しの傾斜でもすぐに立ち止まってしまうようになった。トンネルに似た洞門内ではものすごい轟音を鳴らして近づいてくるトラックは本当に恐怖で、脇の狭い歩道を体を縮こませながら自転車を押した。やがて全くペダルをこぐことが出来ない程に足は疲弊していた。かといって30kg以上の荷物を積んだ自転車を押して登ることも容易ではなく、僕は100m押しては休憩してまた次の100mを・・・と何度も繰り返す。GPSの残り距離を何度も確認しては果てしない気持ちになる。森林限界が近づいてきているのか木はまばらで背丈の低い草が道の脇の丘を覆っていた。その周りには雪渓の残る巨大な山々が囲み、湧き上がる白い煙のような雲が忙しく山肌に沿って駆けていた。
「やっぱりアルプスは伊達じゃないな・・・。」
体力は徐々に限界に近づき始めていたが、ここまで来たからには自分の力で登り切りたい。1%のSOSの可能性を残し、僕は重たい自転車をただ無心に押した。考えていたことといえば「今日は自炊はやめてレストランに行こう・・・。」こんな時でもやはり食べることを考えているのには飽きれる。ま、食べることは生きることですからね。
長い長い戦いにも終わりはやって来た。道の向こうに建物が見える。きっと間違いない、峠の頂上だ。その瞬間の喜びといったらもはや言葉では説明できない。頂上に着いて写真を撮り、さああとは下るだけだと思っていたのだが、まだ先に緩い登りが続いていて愕然とした。もう1kmも登りたくない。見やれば先ほどの建物はレストランとホテルも経営しているようだった。この先全てが下りかどうかは分からない。時刻は午後7時、日本よりも日没が遅いのでそう暗くはないが、少し危険を感じた。命あってこその旅なのだ、こういう時にこそお金は使うものだ。僕はホテル泊まりを決意した。やっほお、なんてセレブリティな旅なんだろう。頂上にたどり着いた安堵感と達成感を胸に僕はレストランの男性に「1泊泊まれまっかー!?」と聞いてみると返ってきた言葉に血の気が引いた。「いいよ。1泊70フランだ(この時の為替で9000円くらい)」
度重なるアリキックの後に強烈なエルボーをかまされた僕は白いリングではなく虹色のシーツが引かれたベッドに沈むように朝まで眠りこけた。こうしてスイスの旅は始まったのである。