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あなたに会いたかった

  • 執筆者の写真: Yusuke Mino
    Yusuke Mino
  • 2015年7月5日
  • 読了時間: 4分

ツェルマット、地図を広げてその名前を目にし、なんだか聞いたことのある名前だと思った。そもそもスイスに来たのは「アルプスの峠を越えたい」という僕の願いに対し、出会ったフランス人カップルが教えてくれたのが先ほど越えてきた「シンプロン峠」であり、その峠の向こうがスイスだったのである。この後の予定としては「坂が少なくイージー」であるらしいルートでスイスを通り抜け、フランスのそのカップルの家に遊びに行くことになっている。そういうわけでスイスに何があるか、どこに行こうかというプランも全く持ち合わせていなかったが、ツェルマットという聞き覚えのある言葉の響きに何かを感じ、僕はその場所に向かってみることにした。調べてみるとなるほど、アルプスのハイキングや本格的な山登りの玄関口になっている有名な場所のようである。

結果から言うと僕はこのツェルマット付近に丸2日滞在することとなったのだが、とても素晴らしい「アルプス」体験を出来たのだ。ツェルマットに向けてはVISPヴィスプという街からアルプスの向けてえっちらほっちら坂を上っていき、たどり着いたTASCHターシュという村のキャンプ場に落ち着いた。キャンプ場からは遠くにこの前の峠で見たような白い雪を残した青い峰々が連なって見えていた。

ここまで来たからには、普段山登りの経験に乏しい僕でも、散歩程度でもアルプスを歩いてみたいという欲求が出てきた。本格的な登山などするつもりはない。簡単なトレッキングルートも存在すると聞いていたので、僕は考えられる出来る限りの装備と食料を用意し、ターシュからツェルマットまで電車で向かった。ここに来ると決めたのも前日で下調べも全くしていなかったが、インフォメーションでトレッキングルートの地図などがもらえるのでそれを頼りに、迷わなさそうな道を選択して歩いてみることに。ツェルマット、そしてこの辺りのアルプスはかなり観光地化されていて、山岳列車やゴンドラが多数あるようで、本格的な山登りをしなくてもある程度標高の高いところまで連れていってくれるようである、ただしお金があればの話。誰とて素敵な景色を見たいと思う、僕も同じ。そもそも高額なゴンドラ代を払うことが出来ないのだけど、自転車旅をしていると、あまりに簡単に絶景を見ても、どこか心の片隅で白けてしまうような気がしてならない。多少なり汗をかいて、筋肉に疲労を感じてからの方が、色んなことに感動できることを知っている。だからとりあえずゴンドラに乗るかはさておき、まずは歩いてみることにしたのだ。

しかしちょっとしたトレッキングでも僕を満足させるには十分だった。風にゆれる色とりどりの自然な花畑、カランコロンと首輪の鐘を鳴らせる黒い顔した羊たち、壮大な広がりを見せる大自然に僕はすっかり魅了された。自転車をこぐのとはまた違う景色の見え方である、みんな山が好きなのが少し分かった気がする。

ツェルマット1日目の天気は変わりやすく、曇り・小雨の中レインコートを着てゆっくりと歩いた。時折晴れ間を見せることをもあったが、ツェルマットのランドマークである「マッターホルン」を拝むことは出来なかった。山にそれほど関心の無かった僕でもその名と形は知っている。トレッキングはとても満足の行くものだったがその山を見れなかったことは少なくとも悔しさを感じていた。しかし翌日の予報は僕にとって都合よく外れ、朝はスカっと空が晴れ渡っていた。キャンプ場の管理人に聞いてみる。「今日ってマッターホルン見れるかな?」「今日はとってもクリアーだよ。今すぐ行くべきだ。」僕は急いで朝食を済ませ、ターシュからツェルマットに向けて歩き出した。山道を歩いていくと、右側にそびえる針葉樹の斜面からついにその姿は現れた。

少し下に雲がかかっているが、その壮士淡麗な美しいマッターホルンを僕はこの目で見ることが出来たのである。この山に限ったことではないが、この山に挑んだ人たちが登山中に命を落とされたことを聞いたことがある。それでも人々は畏れを抱きつつもこの姿、形には魅了されるものがあるのだろう。1時間もすれば山の頂点は雲に隠れてしまった。「有難う。」手を合わせて僕はその山を大事に眺めていたのだった。


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