泣けるキャンプはいかがですか?
ツェルマットを辞して山を下り、これからはフランスの知り合いの家に向かう。時刻はお昼過ぎで、まだたっぷり時間はあったのだけど、僕は今日の走行を止めてキャンプ場へと向かった。その理由はなんでもない、キャンプ場の管理人の女性にもう一度会いたいからというだけ。その女性のご年齢は60は過ぎてるであろうけど、物静かで柔らかな雰囲気がなんとも心地よく、スイスに来て初めて「あ、この人好きやな。」って思った人である。特別用事があるわけでもないのに、真っ昼間で走行を終えるのはどうだろう?と我ながら思うも、この先他に急ぐ用事があるわけでもなし、後悔が無いような選択をすることにした。キャンプ場の敷地を踏んだ時、なんとも言えない安堵感に包まれ、静まり返った木々と芝生の空間に自然と口から「ただいま。」という言葉が出てきたのである。やがてしばらくして管理人の女性と会うことが出来た。女性とは「あらら、どこに行ってたの?へえ、ツェルマットにねえ。」と簡単な会話をしただけだけど、それだけでなんだか癒され、これで良かった、こういう瞬間のために旅をしているのだと深々と思ったのだ。
(自炊時のテントの中はいつもこんな感じです。いちおう片付けながらやってるんですけど。)
イタリアではプール付き、バール・レストランがキャンプ場にあるのは珍しくない。普通キャンプのイメージといえばテントだと思っていたのだが、キャンプ場を利用している人たちの9割以上がキャンピングカー、またはキャラバンカーにビニールハウスを設置したさながら「家」のような設備でキャンプをしている人たちがほとんどで、テント派はごく少数なのである。別にどういう風にキャンプ場で楽しもうが人の勝手なのは分かるけど、たどり着いたキャンプ場が自然の中のような雰囲気でなく、「住宅街」のような感じで、それなりにお金を持ったオジサマ・オバサマのキャンパー達がBARでワインや食事を楽しみ、子供がキャー!っと走り回っているようなキャンプ場が続いたりした時は、時折「なんだかなあ」と思うこともあるのが本音。
スイスでもその傾向は同じようだった。次の日たどり着いたキャンプ場がまさに「住宅街キャンプ場」で、これまではさして心の中でさえ不満が表面化されることは無かったけど、この日は気分的にハッキリ言ってディスライクだった。おまけに雨も降ってくる、イタリアのマッジョーレ湖あたりからどうも天気が変わりやすく、毎日どこかのタイミングで雨が降っている。キャンプ中の雨を経験している人は分かるだろう、この面倒臭さを。自炊は出来ないし、雨漏りや荷物が濡れるのと戦い、トイレに外に出るのもおっくうで、テント撤収の時にまで降っていたら泣けてくる。「車キャンパーにはこの苦労は分からんだろうなあ」と120%無意味な皮肉をつぶやいてみたりもする。だけど全ての用事を終え、寝袋にくるまってビニールの屋根を打つ雨音を聞くときの瞬間、僕は嫌いじゃないとも思う。
(とあるカフェに入って「カフェ・モカ」を頼んだらすごいのが出てきた。店員におそらくユリ・ゲラーの弟子がいてるのだろう(そっち?)スイスで入ったカフェの多くはスイッチ、ピッ、ジャーの味気ない店ばかりあたっていたけど、この店のカフェモカは泡がとてもクリーミーで飲み物自体のレベルが高かった。)
僕はこの日レ・マン湖という湖を目指していた。簡単な道のりではなかった。アルプスの峠を越えてから僕が旅したスイスの道のりはほとんど平坦でそれに関しての苦労はなかったのだが、この日の前半40kmは強烈な向かい風の中を顔をしわくちゃにしながら走り、それが収まったかと思うと今度はドシャ降りの雨が降り出し、雨宿りをする場所もない田舎でレインコートを着て、無理やり笑顔を作りながら走り続けた。やがて自然の猛威からは逃れることが出来、この日の80km地点のモントルーというレ・マン湖沿いの街までやって来た。しかし目指している「値段の安いはず」の田舎街のキャンプ場までまだ20kmを残していた。するとモントルーの街にキャンプ場を見つける。値段さえ良ければ妥協するか?レセプションの料金表を見るとかなり安い値段だった、しかしいかんせんそこも「住宅街」。モントルーって有名な街なのか?なんだか聞いたことある名前だけど、豪華な建物が並び、欧米人達だけでなく我々アジア系の一般旅行客たちも通りを歩いてるのを見かけた。住宅街キャンプ場とラグジュアリーな街並み、違う違う。僕はもっと田舎の静かな雰囲気を求めている。夕暮れ迫り、残る力もわずかであったが、コンプロマイス(妥協)だらけの旅にもたまにはドゥーマイベストな1日があってもイイじゃないか。その1時間後、時刻は午後9時。僕は目的のキャンプ場にたどり着いた。走行距離は100kmに達していた。レセプションを訪ねると、女性が出てくる。あまり面白くなさそうな顔に見える、まあこの時間やからね、すまへん。しかし値段を聞いてみてビックリ。キャンプ場ガイドを見て「安いはず」のこの場所を選んでやってきたのに、実際はさっきのキャンプ場より7フラン(約900円)も高い。掲載価格が間違ってるのか僕の勘違いか。「ええ、なんで?」と軽く抗議したものの、通じてか通じてないのか「はあ?」という顔しかされず、日本人の評判を下げるわけにもいかないのでとりあえず1泊泊まることにした。あれだけ頑張って走ってきたのにこの、この結果はつらすぎる・・・。僕は指定された場所でテントを広げることもなく、10分ほど落ち込んだ。しばらくして少し落ち着いてくると最近細かい不満ばかり思いつく自分の器の小ささを感じてそれはそれで嫌気も差す。もっともっと寛大にならないとね・・・。
たかが1泊の宿泊代の話なのですが、目的の場所を巡り、旅を続けていくことが日々の大事なこと。これまで使ってきた資金を計算すると、このままではいけないことが分かってきた。贅沢しようとは思わないけど、ある程度安全のためにお金を出すのも必要と思うので、野宿は出来るだけ避けたい。ひとまずスイスの物価が高いことと、今日の7フランの痛手が教えてくれたことは、ヨーロッパを旅する期間を縮小うること。そして少し前からうっすらと考えていた計画を具体化する必要が出てきた。これは新たなチャレンジである。またおいおい話していきます。