Bye Bye Europe.
デュッセルドルフという街について。ドイツ西部に位置し、街の名前は市内を流れるデュッセル川に由来する。歴史的、経済的にも重要なライン川に面して発展してきたこの街には、今も多くの金融機関や企業が集まり、ドイツ国内はもちろんヨーロッパ経済の中心地の一つでもある。
とはいえ息の詰まりそうなコンクリートジャングルという印象は感じない。確かに先進的な建造物や、人で賑わう繁華街など存在はするのだが、新しきも古きも上手く調和され、トラムや自転車道などの交通インフラの充実、町中には緑あふれる公園などもよく見られ、非常に美しい都市設計がされてあると僕は感じた。
この街に住む知り合いのサイクリスト、ルディガーさん夫妻のご自宅で2日お世話になったのだが、平日は家においておけないということで市内のキャンプ場に移動することになった。ヨーロッパを発つ前日に再びルディガーさんのご自宅に戻ってくる予定だ。教えていただいた1件のキャンプ場に移動して最初の日のこと、今後の予定を左右する小さな事件が発覚することに。
コーヒーを沸かそうと、ガソリンストーブの燃料のツマミを回すと、ありもしない所からガソリンが漏れ出しているではないか。幸い、火をつける前に気付いたので良かった。漏れている所自体が裂傷しているのかもしれないし、ゴトクの下のジェネレーターも曲がっているよう。そういえばこの前、停めていたフル装備の自転車をこかしたことがあって、その時にカバンの中のストーブにもダメージを与えたのだろう。現時点で修理は不可能のもよう、それが意味するのは今自炊が出来ないというだけでない。ヨーロッパの後にワーキングホリデーで訪問するニュージーランドでは最初に北島のオークランドに着いて、そこから自転車旅しながら南島のクライストチャーチを目指す予定であった。NZは物価が高いようで、さらに食料品店が無い田舎地帯が続く可能性も考慮すれば、自炊道具は旅において必須である。直せないならば新しく購入することも出来るが、日本を出て7カ月の旅程で思った以上に資金は消耗しており、さらにこれからNZへ向かうための航空券やビザ取得のための費用もかさみ、これ以上の出費は避けたかった。はあ、どうしてこのタイミングで面倒臭いことに。でも待てよ。これはもう北島を旅するのではなく、早々とクライストチャーチに行って働けという神様の思し召しではなかろうか。NZのクライストチャーチという街には友人の知り合いがいて、すでに連絡も取りあっている。だから働きながら住むのはその街と決めていた。NZへ行く最大の目的というのは旅することではなく、資金を貯めながら、最終目的地のアルゼンチン・パタゴニアのベストシーズンを待つことだ。さらにNZは町中にカフェがあり、先進的でかつ独自のコーヒーカルチャーを持つという。どうせならカフェで働くことが出来たら「さすらい喫茶」の旅としては最高の展開ではないか。チャーチに住むカナダ人から「僕の知ってる素敵なカフェが今求人出してるよ。」とメールで教えてくれたばかりであった。そうだ、早くチャーチに行って働こう。むしろ旅よりもコーヒー修行することに感心が高まってきている。もはやパタゴニア行きもやめて、NZで1年本気でバリスタ修行した方が今後の自分のためになるのではないか?今回の1件は僕をそう促すためのことだったと納得することに。その2日後、オークランドからチャーチへ飛ぶチケットを予約した。
しかしこれで問題がキレイサッパリなくなったわけではない。フライトまで5日を切っているというのに、なんとNZのワーホリのビザがまだ下りていなかった。向こうの空港ではパスポートと、ビザの画面を印刷したコピーをイミグレーションで見せなければならない。NZ国内でもビザ取得は可能だとネット上にはあるが定かでは無いし、すでに申込をしている上、ややこしい話になってくるだろう。それに伴う費用も発生するかもしれない。自分の国から「余裕を持って」申請して、自国から出発するのが普通だろう。しかしこちとら旅先から、しかも移動しながらの申請作業ともあって、なにせ余裕がない。もちろん動き出すのが遅すぎたという至極単純な反省はしている。英語の書類を単語調べながら解読し、慣れない電話で病院を予約して、遅刻して向かった病院でお医者さんに激怒され、やっと全部の手続を終えて安堵していたら今度は出発前になってもビザが下りないというこの最悪な状況には頭の毛が薄くなりそうな思いだった。さすがにこの状況は良くないと、NZのイミグレにメールを送ったり、電話をかけるも何一つリアクションは得られず。もう後はフライト前夜までにビザが下りるのを祈るしかなかった。
そんなドタバタとした状況ながら、合間にこの旅最後のヨーロッパ滞在を楽しんでいた。デュッセルには日本の企業が多く集まり、それに伴い駐在員とその家族の方々も多くいらっしゃるそう。ロンドン、パリに次ぐ日本人コミュニティが存在し、中央駅から歩いてそう遠くない場所には日本人向けの本屋やレストランが並ぶ通りがある。節約のためほとんど外食は控えてあったけど、たまには贅沢も良かろうと1件のラーメン屋さんに入った。すると従業員は全て日本人の若い子達で、接客クオリティもまさに日本のそれ、まるでホームに帰ってきたような昂揚感を覚えた。横に座ってる3人組のドイツ人達さえ「あ、君たち観光客なのね。」と勘違い出来るほどに。日本語接客とラーメンの味にも感動したのだけど、なんといって美味しかったのはサイドメニューで頼んだ大きな「おむすび」だった。ご飯はアジアの時にも食べていたけど、「おむすび」って形は日本を出発して以来。まだ湯気が立つその白い小さなお山を頬張った時、僕は心の中で「来たあああ!」と叫んだそうです。
いよいよヨーロッパを発つ時が来ていた。キャンプ場からテントを撤収して、再びルディガーさんのお家へ。奥さんの機嫌は変わらず良く、僕のためにアジア風のフライドライスを作っていてくれた。ルディガーさんはと言えば、ここまでもかなりお世話を焼いてもらってるのだが、この度も自転車輪行の段ボールを確保してくれていたり、面倒な分解作業を手伝ってくれたり、さらには空港まで僕の荷物と一緒にお見送りまでしてくださるという、ありえないくらいのスペシャル・ホスピタリティを提供し続けてくれた。ルディガーさんとは、カンボジアの道端で3分ほど会話しただけで、共通点はお互いサイクリストであるというだけの関係である。逆の立場だったら、僕はここまで相手のためにしてあげることが出来るだろうか?本当に、本当に感謝である。
子供のころからずっと憧れていたヨーロッパ。最初に到着したイタリアのローマは、街全体がまるで美術館のようで、魂を抜かれるがごとくの衝撃と感動を覚えた。小さな田舎町だって可愛らしくて魅力があり、町を離れてちょっとで当たり前のように穏やかで美しい自然が広がっていて。ヨーロッパの人たちは自国の文化に誇りを持ち、アジア人は相手にされないんじゃないか、そんな噂も聞いた上で旅をしてみると、出会った人達はあっけらかんと明るく陽気で、優しい人達ばかり。悪い思いをしたことなどほとんど思い出せない。今これを書きながらも、あの美しい街並みの中にまた身を置き、バールでカプチーノを立ち飲みしたいなと想像する。まだまだ行ってない場所はたくさんある、もう一度行きたい場所もたくさんある。あなたたちのことをもっと知り、見て、感じたい。だからその時まで、バイバイ、ヨーロップ。
結局NZのビザは下りないままフライトの日を迎えることになった。もう後は現地に着いた時にネゴシエイト(交渉)するしかないか。飛行機は滑走路を離れる。窓の下にはだんだんと小さくなっていくデュッセルドルフの街とその中を蛇行するように流れるライン川が印象的に映った。新たなステージへ。いざ行こう、ニュージーランドへ。