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兎にも角にもニュージーランド

長い、長い、ニュージーランドへの旅路が始まった。なにせ今回はドイツのデュッセルドルフを出てから計3回の乗り換えを経て、ようやく目的地のNZ・クライストチャーチに到着する。2回目の乗り換え地であるタイ・バンコクの空港到着までは難の問題もなく、このままチャーチまでスムーズに行けそうな気がしていた。

バンコクまでの小ネタを挙げると、最初の乗り換え地・ドイツのミュンヘンの空港はモダンでアーティスティックな施設という印象を受けた。レストランのように、空港にも何ツ星といった評価がつけられるそうで、ミュンヘンの空港が高く評価されていることも頷ける快適性と遊び心を感じることが出来た。きっとミュンヘンの街にも同じことが言えるのじゃないか。うむむ、ドイツという国はやはりまた再訪しなければなるまいな。

変わって2回目の乗り換え地、タイ・スワンナブール空港。ここはなんといっても、この旅で最初に訪れた思い出深き場所。あの時は深夜に到着して空港で夜を明かし、空港を出たら出たで初めての海外に右も左も本気で分かっていなかった。すぐに日本に帰ってしまいたいと思ったが、なんだかんだとここまでやって来たのだから大したもんじゃないか、うん。空港の食堂から流れ出るハーブの独特でスパイシーな芳香が僕の鼻孔をかすめた時、そんな青々しい記憶がリマインドされると共に、気が付けば僕は食堂の暖簾をくぐっていた(暖簾なぞあるか)。さすが空港だけあって街の屋台で食べる値段の何倍もしたけど、久々のアジアンフードに何度も一人で頷きながら気が付けば丼ぶりの中は汁まで空っぽになっていた。食べ終わって前のベンチに座っていると、さっきの食堂の兄ちゃんが休憩時間なのか、僕のベンチのすぐ裏でグースカと寝だしたのを見て「ああ、この人間らしさ、アジアやなあ(笑)」とひと時ながら感じたのである。

(↑これぞタイ!と思わせてくれる仏様の綱引き大会?「え?今それ言う?」みたいな表情がたまらんす。)

さていよいよニュージーランドへ向かうわけである。デュッセルドルフを出てすでに丸1日以上経っているが、NZでもまだ乗り換えを1回残しているし、体は休ませつつ、気は引き締めておかねばなるまい。飛行機への搭乗ゲートでチケットを機械に通した時だった。職員の男性が「ちょっと君こっち来て。」と僕を呼び止めた。男性はこう続ける。「君のチケットどうもおかしいってNZ側から通知があるみたいなんだよね。」僕は全てを話した。ワーホリのビザが未確定のこと、同時に僕はNZからオーストラリア行きのチケットを所持していて、NZには観光ビザで入り、そこからワーホリビザ取得の交渉を現地でしようと考えていたことなど全て。男性はNZ側と電話して状況を確認する。僕はベンチに座りうずくまる。もしかしたら最悪NZに行けなくなる可能性がある?そうなるとどうなるん?日本に帰らさられるわけ?こんなことで旅は終わってしまうのか?それは絶対イヤや。僕は手を合わせて祈った。やがて電話を終えた男性が僕に語り掛ける。「君に足らない手続を今からすぐ取ろう。そうすれば飛行機に乗れる。」何が問題だったかというと、NZに観光ビザで入るにはNZへの出入国チケットが必要でそれは手配済みだったけど、今度はオーストラリアへもやはり片道入国が出来ないからオージーを出る航空券が必要で、日本へ帰るチケットを今からネットで取りなさいということだった。僕はラップトップを開いてすぐに航空券の購入を試みた。しかし飛行機の出発時間は迫っていた。迷惑はかけたくなかったので「もう僕のことはいいから出発させて下さい。」と言ったけど、男性はチケットを取るよう僕を促した。やがて予約は完了し、その旨をNZ側に伝えた所で男性はこう言った。「おい、お前良かったなあ。飛行機乗れるぞ!」と笑って僕の肩をポンと叩いてくれた。男性に深く感謝の言葉を言って、僕は職員の女性と飛行機への連絡通路を走っていった。「なんかこの展開、石田ゆうすけさんもやってたな。」そんなことを思い出して僕は走りながらニヤリと一人笑っていた。出発にほとんど遅れはなく、飛行機はNZに向けて飛び立った。あの時点で旅が終わるかもしれないと一時絶望に感じていたから、なんか信じられない気持ちと、このドタバタに付き合ってくれた空港の職員の皆様に感謝と申し訳なさを感じて、心の中で何度も何度も「ありがとう。」と言った。機内で眠るのは苦手だったけど、長時間の移動と緊張の疲れで眠りこけていた。

(↑どこかの便で食べた機内食。毎回どの機内食も美味しい。)

ニュージーランドは北島・オークランドの空港にたどり着く。ここからが最大の山場なのだ。入国審査で僕は自分のビザ状況について明かし、これからどうすべきか聞かないといけない。いざ、自分の順番が来て状況を話すと、「なるほど、じゃあゆっくり話を聞くからそこで待ってなさい」と言われ、やがて別の男性が僕を部屋へと連れていく。この展開は予想済みなので、望むところだという感じ。僕はてっきりケチョンケチョンに怒られるものかと思っていたのだけど、その男性は笑顔で、とても分かりやすい英語で僕にいくらかの質問を投げかけた。僕はそれに全て答え、手続中の全ての書類、航空券、そして本来ワーホリビザなら空港で聞かれる可能性のある銀行の残高証明もした。すると男性は「うん、大丈夫だね。おそらく君のワーホリビザは近いうちに許可されるよ。ようこそ、ニュージーランドへ。」と言ったのだ。ええ?本当に?入国さえどうなるかと思っていたのに、ワーホリビザも確約(「おそらく」とは言ってたけど)してもらえるなんて。笑顔で男性は僕を送り出してくれ、その後の税関審査も何の問題も無く通過し(NZの税関は厳しく、特定の食料の持ち込みや、靴やテントに付着する土のチェックをされる。僕はテントの裏をチェックされていたが、事前にキレイにしていたのでOKをもらえた。)空港のロビーに来た時、僕はこの国にいる資格があるのだと、なんとも言えない晴れやかな気持ちでいっぱいだった。その夕方の便でオークランドからクライストチャーチにたどり着き、丸2日以上に及んだ長い移動の旅がやっと終わりを告げた。この度、タイとニュージーランドの空港の職員の方々にご迷惑をかけたことを深くお詫びすると共に、感謝している。迷惑をかけた話を公に書くことに迷いはあったけど(書かない方がいいかもしれないと感じたら、この記事の内容変えるかもしれません)、どうかこれからワーホリを取得される皆様は是非日本から、海外から申請するにしても、「時間にはかなり余裕を持って」されることを心からお奨めします。

自転車を組み立て、空港からクライストチャーチの中心街の予約してあるユースホステルへ。クライストチャーチは記憶されている方もいらっしゃると思いますが、2011年東日本大震災が起きる前にここ、クライストチャーチでも大規模な地震が起こり、建物が倒壊したり多くの方が亡くなられ、その中には日本の留学生の方々もいらっしゃいました。中心街の方に来ると、夜なので状況がはっきりと分からないのだけど、工事中や更地の所がいくらか見られ、4年経った今もまだ当時の傷が感じられ、僕はその場で手を合わせて、亡くなられた方々への冥福を祈り、復興が進むことを願った。僕は悲しいこと、こわいことはなるべく避けていたい人間である。ニュージランドでも働くならオークランドや首都ウェリントンという選択肢があったけど、クライストチャーチを選んだのは友達が紹介してくれた方がここに住んでいるのがキッカケである。きっとこの地に何か縁があるのだと思う。この地に少しの間根を張って働いて、何かを手にして日本に帰りたい。だからしばらくの間、よろしくお願いします。

兎にも角にもニュージーランドへたどり着くことが出来た。いよいよこの国での生活が始まります。しばらく自転車の冒険はありませんが、どうかお付き合い願えたらと思います。


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