私が私であるために
旅に出て1年が経とうとしていた。その記念すべき日、僕はニュージーランドに来て初めてクライストチャーチから大きく出てみることに。とは言え今回も日帰り旅行、チャーチからバスに揺られて北へ2時間半、たどり着いたはカイコウラKaikouraという小さな漁村である。その名はこれまで何度も人の口から聞いていて、いずれも「素晴らしい」という感想が伴ったものだった。
今日は珍しく自転車を持ってきていない。というのもバス会社の規定で、載せるにはある程度の分解が必要で、今回はそこまでオーガナイズする時間の余裕が無く、たまには普通の観光客らしく楽しもうではないか、と実は納得していない僕の頭を無理やり抑え込んでいた。カイコウラに着き、街のメインストリートをブラっと歩いてみてこう思う。 「ああ、自転車に乗りたい。」 それは歩きだして、まだ3分経ったかという頃。その後立ち寄った観光案内所でレンタルバイクが利用できると知った時の、僕の決断は早かった。その10分後にはいつも通り僕は自転車に跨っていたのだ。風を切って走っていると、もはや自分の意志とは関係なく顔はニヤつき、次の瞬間には声を出して笑っている。やっぱり僕には自転車が無いとダメみたい。551の蓬莱がある時と無い時で、関西人の躁鬱が変わるように、僕の旅には自転車が無いともはや自分の旅では無い気がする。いや、もちろん歩いたり、電車だったり、旅の手段が違えど、それぞれに魅力があるのは知っている。ただ今の僕の根底には必ず自転車が存在して、自転車では行けない場所だったら歩けばいい。旅というのは完全なる自己満足、自分が納得していればそれで良い。ああ、しかし乗り慣れていない自転車だけあってどうもしっくりこない、ヘルメットも小さくてフィットしないし。ゴメンね、君を連れてこれなくて。旅も2年目の始まりという日に、今日は他の子と浮気中。離れてみて分かる愛もある、だからといって僕には遠距離恋愛なんて不可能だろう(一応自転車の話をしてるそうです。)
さて、カイコウラに関してだが、チャーチと同じく東海岸に面した小さな田舎街には多くの観光客が集まってくる。地形的な理由でその海には多くのプランクトンが集まり、結果様々な海洋生物が生息する。中でもツーリストが心惹かれる代表的な生き物がオットセイ、イルカ、クジラなどである。イルカ、クジラに出会うには多少お金をかけて船に乗り込む必要がある。もちろん僕がそんなお金を払うはずもない(いばる必要もないが)。しかしSealsオットセイ達なら海岸から観察出来るという。僕は彼らが集まるコロニーへと自転車を走らせた。
海岸沿いを走らせると、ハケで塗ったような鮮やかな彩度の海が広がり、圧倒的なる「潮」の香りが鼻をついてくる。それはまるで島根や鳥取あたりの、夏の日本海のような風情だ。今でも海のすぐそばに住んでいるけど、同じ東海岸でも全く海の種類が違うもんだ。ますます気持ちがのってきた僕は歌でも歌いながら気分よく走っているところに、とうとう最初のオットセイの姿を確認した。嬉々として岩の上に寝そべるオットセイに近づいてみると、そばまで来ても全く動こうとしない。なんと怠惰な生き物と思った刹那、そのオットセイは体に痛々しい10cm以上の傷を負っていた。さて、どうしたものか、自然の成り行きに任せるべきなのか。しかし推測だが、おそらく保護されている生き物でないか、さきほどの観光案内所に知らせるべきだろうか。そう悩んでいる時、一人のアジア人が僕の元にやって来て、彼も同じくツーリストらしいのだが、どうやら彼がすでに地元の方に伝えてくれたとのこと。僕は無事を祈ってそのアザラシの場所を後にした。
アザラシの観察地区にやってくる。畳を広げたような白い岩の干潟と蒼い空のコントラストは類を見ないなんとも不思議な空間である。肝心のアザラシといえば、ツーリストの多い手前の空間には1匹2匹と観察できる程度で、こちらの気配を感じると海に潜ってしまった。こんなものかと思っていたのだが、さらに奥へと進むと、目線のずっと先にゴロゴロとアザラシが寝そべっている群れを確認した。そこへ近づこうとしたが、手前には地面を埋めるほどの大量のカモメが居座っており、彼らに近づく姿勢を見せた瞬間、何羽かのカモメが空中からするどい表情で僕を威嚇してきた。それはまさにヒッチコックの映画「鳥」に似た恐怖感、たった数羽のカモメでさえだ。というわけで、そのアザラシの群れには近づけず、というよりは常識的に近づいてはならないだろうと、自然と納得した。カモメのあの鬼気迫る表情を見て、何か自然の摂理たるものを少し感じたのだった。
その後、丘からの眺望、街の中心から少し離れた田舎風景も素晴らしく、滞在した6時間はあっという間に過ぎ、後ろ髪引かれる思いでカイコウラを後にした。帰ってすぐ、自分の自転車に跨ってみる。10年連れ添ってきただけある、何とも言えぬこの心地よさ、フィット感。やっぱり俺にはお前しかいない。
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というわけで旅に出てちょうど1年が経ったわけである。初の海外旅行ということで、アジアだけでも走り切れるか不安だったが、異国で外人たちと一緒に働いているという今の状況を想像しただろうか?思うことは色々あるが、ここまで無事に来れ、また素晴らしい出会いに支えられてきたこと。体が健康であること、家族や友人がみな元気であること。有難いという言葉しか見つからない。感謝の気持ちはひと時も忘れず、あと残り半年続くこの旅を目いっぱい楽しみ、勉強して、日本へ帰りたい。2年目の「さすらい喫茶」もどうぞよろしくお願いします。
(2年目もこんな感じです。)