不思議なわがまま? Biking in NZ 10
Wanakaで友人と再会する目的も果たし、旅はいよいよ最終目的地のQueenstownを目指すのみとなった。2つの街をつなぐ最短ルートには大きな峠が立ちはだかるという。しかしそこから見える景色は大そう美しいとか。
Wanakaにさよならして峠越えの道へと踏み入れば、緊張感が高まった。とはいえ、いつも通りのんびりスタート、すでに11時。おまけに天気もあまり良ろしくない模様。今日は800m以上登ろうというのに舐めくさりすぎ?結果から言えば「大変な山越え」という前評判の割に、そこまで大したことはなかった。登っているのかよく分からないくらいの傾斜がダラダラ続き、Cardoronaという集落を過ぎて、もうしばらく行くとようやく峠が本気を見せ始める。天気はというと、途中から弱い雨が降り続いていたがだほど問題にはならず。最後の数kmは傾斜がきつく、ペダルを踏めなかった。道が狭いだけでなく、路肩が下に窪んでいたので自転車を押す行為を余計難しくしている。単に坂が苦しいのではなくて、道路の作り方による弊害なのでなんとなく不本意な気分だ。時々対向車線の車を見てみると、こちらに気付いてフロントガラス越しに笑顔で手を振ってくれるので、あながち気分は悪くない。
(上の写真の多くがCardoronaという途中の集落で撮ったもの。なぜだか知らないけど、千社札の如く大量のブラジャーがつっていた。Cardorona Hotelは歴史あるNZでは知られた宿泊施設らしい。こっちの昔ながらのホテルは必ず中にBarがあって、休憩がてらにカフェラテを飲んでいった。中はさらにアンティークで、中庭は綺麗にしてあり、田舎でこんな楽しいひと時を過ごすとは思っていなかった。ちなみにBarの天井にもなぜかブラジャー。)
ただ無心に自転車を押して、押して、ようやくそれは見えてきた。長い峠が終わりを告げる。道の脇に広がる空間に入る直前、もう一度サドルに跨り、次に右腕を高く掲げ、空に拳を突き上げた。眼前には折り重なる山、これから下る道。そして驚いたことに、さらに向こうに見える街と湖がQueenstownとLake Wakatipuなのだと理解を得た時、大きな興奮と感動が胸を包んだ。Oamaruから始まった旅の、長き道のりがこの瞬間極まったような気がする。悲喜こもごも入り混じったプロセスを経たからこその感情と言えよう、これがあるから自転車旅はやめられない。下りは傾斜角がきつく、風も強かったため、走行は慎重を要したが、時折脇に点在する展望所からの眺めは良く、曇り空の割れ目から太陽の光が漏れ出し、下の山里を神々しく照らして、それはさながらファンタジー映画のような世界観であった。
峠を下り切った。もう少し集中すれば2時間もしないうちにQueenstownに着けるだろう。しかしあっさり今回の自転車旅を終えてしまうことに一抹の寂しさも覚え、到着は明日に持ち越すことに。僕はこの旅で2度、適当な場所を選んでキャンプをした。緊張感はあれど、そこには旅ならではの「自由」を感じていた。
「もう一度どこかで『フリーキャンプ』を。」
地図でここなら、という場所に目星をつけて一度はそこへ向けて走り出したのだが、体は思った以上に疲労を溜めていた。ペダルが重く、不安が募る。まだ旅は続く、ここで無理して体調をきたすわけにはいかない。大事をとってフリーキャンプは断念し、その時一番無難な案であったAllowtownという街のキャンプ場へ進路を変えた。Allowtownも美しい街と聞いている。
「とはいえ田舎だ、キャンプ場も静かな良い雰囲気であろう。」
そう願い、敷地に足を踏み入れた瞬間愕然とした。無駄に立派なトイレやキッチン、騒がしく宴会する人々、何より気持ちを下げたのが、住宅街のように軒を連ねるキャンピングカーだった。キャンプ場が悪いのではなく、ここに来た自分のせいであるのだけど、残念なことにこの日のキャンプに求める「本質」と「現実」は全くマッチしなかった。僕はただ水と、キャンプ場という「括り」さえあれば、灯りさえ一つも必要で無かった。無理してでもフリーキャンプを選ぶべきだった、峠の上での感動に少し水を差された気分。しかし宿泊施設には「利便性」を求めるのが普通であろうが、真逆の「不便性」を求めることはサイクリストならではの「不思議なわがまま」と言えるのかもしれない。
明日でいよいよこの旅最後の走行になるだろう。