top of page

さて、行ってきますか。 "Starting New Journey"


これから半年間も遥か遠い場所を旅しようというに緊張感はまるで無く、穏やかに出発の時を待っていた。旅に出るというかは、旅に戻るという感じか。空港で両親に挨拶して搭乗ゲートへ向かう。ではいってきます。

1日目は成田に移動して終わり。これから現地まで長期戦なので、ホテル泊まり・・と行きたい所だが第2ターミナルの待合室が思いのほか快適だったので夜を過ごすには十分だった。

翌日、段取り良く搭乗手続きを済ませると、いよいよ日本を出発。忘れ物はほとんど無かったはずだが、ラーメンだけ空港で食い損ねてしまった。南米でありつけることにそっと期待しておこう。

(2枚目:成田空港のとある待合室で夜を過ごす。一部は畳張りで、電源や自販機も完備されて有難すぎて手を合わせたくなった。3枚目:待合室にいたシンガポール人の女性。荷物が重すぎて困ってらしたので小一時間手伝ってあげた。)

ところで、出発の3週間前に奈良県のオフロードを走った際に尾骶骨を強打しており、回復してきているものの、フライト中は痛みを避けるためにモゾモゾと何度も体勢を変える必要があったので、ゆっくりと寝ることは出来なかった。成田の待合室も空調が効きすぎて寒く、こちらも安眠とは言えず、12時間のフライトでたどり着いたメキシコシティの空港に着いた頃にはすでに満身創痍の状態であった。

今すぐ横になって寝たいくらいなのに、なぜか乗り換えのメキシコでは荷物を一旦受け取って再度空港に預けないといけない、同じ航空会社だというのに。荷物の預け場所を探していると、空港職員のオッチャンが「俺に着いてこい」と僕のカートを押し始めた。こういう個人プレーは後からお金を請求されるパターンもがある。しかし疲弊していて断る元気も無く、言われるがままに相手のペースに委ねることになった。チェックインカウンターに着くと、他の職員が僕の荷物を見て「ラッピング」しないと預からないと言い出した。ラッピングとは、文字通りビニールのラップで荷物をグルグル巻きにする空港ではよくあるサービスの一つだったが、僕の荷物は段ボールで全てしっかり梱包してあるし、成田でもそのままで大丈夫だったのに、なぜかメキシコでは必要と言う。しかしこの時も交渉なり抗議する元気も無く、再び言われるがまま一緒にラッピングの場所へ。作業が終わるとなんと700ペソを請求される。メキシコの通貨レートを全く知らなかったので、これが米ドル換算でいくらになるのかゾッとしたが、払ってしまった。これでオッチャンとも別れることが出来る。チップを渡そうとは最初から思っていたが、こちらから言い出す前に向こうから求めてきたので、腹が立つというか、人間的で憎めないというか。

その直後、フライトで一緒だった日本人のキャビンアテンダントの女性がいらしたので、聞いてみると「ええ、そんなことあるんですか?金額にすると4000円くらいかな?きっと中南米の洗礼ね・・。まあお守り代と思ったら、ね!」 まあ、確かにここまで無事に来られているので良しとするか・・。空港の中は工事中で、防音シートも無いからドリルの轟音が空港内に響き渡ってるし、タコスの肉はパサパサだし、ああ、日本を出たんやなあと、しみじみ。

*9月中に2度も大規模な地震がメキシコを襲いました。命を落とされた方にご冥福をお祈りし、いち早く人々に元の生活が戻ることを願います。

(3枚目、パサパサのタコス。正直、感想し難いお味でした。4枚目、成田からのフライトだったので、席の周りにいた日本人の同年代の旅人達としばし仲良くすることが出来た。)

まぶたが落ちそうになりながら、最後のフライトでペルーに向かう。着いたのは夜中の11時、荷物を受け取りロビーに出ると、宿泊客の名前を掲げたたくさんのペルー人が壁をなしているのを、まどろむ意識の中スローモーションのように僕の視界の中を流れる中、その中に一人僕の名前を掲げる男性がー、予約してある宿の運転手であった。寡黙なドライバーはクラクション鳴り響くせわしい道を淡々とハンドルを切る、僕はただ黙って流れるペルーの夜景を仰いでいた。やがてたどり着いた宿の玄関先、日本語を話す宿主と猫が出迎えてくれ、安堵のため息。日本を出て60時間経っていた。

出発前よりは興奮よりも緊張や不安の割合が増した気がする。しかし適度な緊張は、一人旅において必要な心得だ。これから数日間、ここリマでまずは海外の空気に慣れた後、自転車旅を始めようと思う。


bottom of page