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旅は数値で測れない "Only one good memory makes me happy"


My stomach was suddenly upset in Ayacucho. Many times going toilet and I couldn't eat anything,so I stayed in Ayacucho for two days.

I made sure resolving diarrhea and started cycling.But it was too early.I didn't have good appetite and just had fruits or snacks.So I couldn't crimb hill at all and sit down on ground where was no villages.

I tried hitchhike and kind local people picked me up with bike and bags and skipped 200km.I decided to stay at Chincheros until getting good appetite.(Chincheros is small town,pretty and comfortable for me).

When I was in sickness,I thought "Trip in Peru would get close to terminal,it's too hard for me...And I'm craving to have Japanese cooking"

I remembered my older friend said "Don't trust internet because there are just beautiful stories on it.Because people don't want to write their embarassed story."

However,if I quit or change my plan of this journey,I'll write down my real story because it might encourage people who are disappointed.

I also think if I quit travel in Peru,it's not failure because I've got good memories like got touch with good local people,enjoyed local foods,superb scenery of Andes...If short or long,only one blight thing left in my mind,I can say it's worthy trip.

Finally,I got better and could restart.

「この国を旅することに不安は無くなった。」

そう書いた所からの急転直下のお話。

Ayacuchoという町に着いて以降、突如お腹を壊してしまったのだ。考えられる原因は、ここに着く直前、突然雷雨が襲ってきたので雨宿りついでに食堂でご飯を食べた。お腹は減ってなかったが、無理やり全て平らげ、その後すぐにサドルにまたがり激しい運動をした。あとは疲労の蓄積、そして最近食欲に任せて食べまくっていたことで胃腸が弱っていたのだろう。下痢は2日続き、歩くと眩暈がした。薬で症状は治まったが、食欲が回復するのを待たずに、焦ってAyacuchoの町を出発した、これもいかんかった。

(Ayacuchoの中心は結構ツーリスティックで、広場も綺麗に整備されていた。街中で地元の大学生たちがフォルクローレと思われる伝統舞踊の練習をしていて思わずしばし見とれた。本番はきっと華やかな衣装を着て、音楽に合わせて踊るのだろう。どこかで地元のお祭りを見ることが出来たらいいなあ。)

出発の1日目は登り坂とは言え、たった20km程で夕方を迎える。またも雷雨で、無人の家畜小屋でテント泊。翌朝天気は回復したので出発を試みたが、昨日の疲労が取れずに足が動かず登れない。さらに食欲不振が続いていて、この間軽いスナックと果物しか食べておらず、腹から力が出なかった。これまで、向かう道に屈したことはほとんど無かったけど、今の状況で前に進むのは不可能と考え、人生初のヒッチハイクを試みた。2時間ほど粘ってようやく親切なドライバーにつかまり、彼の車で100km程先の小さな村まで行くことが出来た。道中全く集落が無く、凄い峠と雨が待ち受けていたので助かった。

辿り着いた村では運良く宿が見つかる。しかし食欲不振は相変わらずで、食堂で頼んだ料理は半分しか手をつけれなかった。食べないと自転車はこげない、でも食べたくないという負のスパイラル。一時はあれだけ好きになったペルー料理が今ではトラウマとなってしまっている。かといえ他に選択肢といえば、お菓子か果物くらいしか無く、それで自転車をこぐことなど出来ない。一体どうすればいい?

翌朝も同じ食堂で食べてみたが、上澄みしか手をつけれず、申し訳なくて、食堂の人と食べ物に謝った。ペダルを踏む力は全く無く、かといえこの村にいても埒が開かず、この日は警察の車に乗せていただき、Chincherosという町に辿り着いた。

宿のベッドに倒れ込む。Cuzcoまで行けば日本食レストランがあるという。ツライ時はいつでも日本のご飯が食べたくなる。悔しいけど、ペルーの自転車旅は諦めざるを得ないかもしれない。でもCuzcoに行くにも車やバスを乗り継がなければならず、このまま食欲不振が続けば車移動でさえ体力が持たない。どうすればいい?不安でたまらない。この日はWIFIを使うことが出来たので、久々に家族に連絡した。家族が直接何か出来るわけでなく、最終的には自分で動いて自分で解決しないといけない問題だが、相談してとても気分が和らいだ。

一旦落ち着いて、胃腸の回復を待ち、食欲が回復してからこの先どうするか決めようじゃないか。食べることさえ出来れば、きっとまたポジティブなアイデアが帰ってくるだろう。

たくさんのサイクリストがこの南米を走ってきた。それに憧れ僕も真似してみたけど、僕はどうやら屈強なサイクリストには程遠い。ここまで何度かくらいついてはきたけど、アンデスは何度だって僕の細い心を簡単に折ってくる。

「インターネットを信じるな。インターネットにあるのは美談だけ。失敗した話、恥ずかしい記憶は皆書かないんだ。」

江田インのホルヘさんがそう言っていた。

僕のペルー・南米旅も心半ばで終えてしまうかもしれない。それは僕にとって決して自慢出来るものでは無い。しかしそうなっても、僕はここに書き残すし、以降僕のように上手くいかない人が見たら、多少は励みや慰みになるかもしれない。ああ、自分だけじゃないって。

ただ、ここで南米旅が終わろうと「失敗」でないことは確かだ。なぜなら少なからず僕はペルーの道を走り、アンデスの壮大な景色を見てきた。優しい人に出会えた、ペルー料理を楽しんだ、仲間と共に苦楽を共にした。その価値は数では測れない。一つでもキラリと光る思い出を作れたら、そこに来た価値はあった。なんや、それならすでにたくさん作ってるやないか。人の数だけ性格や生き方も違う。人と数字を比べなくていい、自分の旅をすればいい、自分の出来る働き方をすればいい、自分の生き方は人の道・神の道を外れない限り、きっと無限にあると信じていいはずなのだ。この先の目的地はいくつか減らすかもしれないし、やっぱり心が折れて帰国することもあるかもしれない。その点も自由であっていい。情けなくてもいい。元気な命があれば、また何かにチャレンジできるから。

でも、これでペルーの自転車旅が終わるのはやっぱり少し寂しいから(パタゴニアも諦めたくはない)、もう少し旅が出来るまで、心と体が回復してくれたらいいなと願う。ひとまず今、心が落ち着けたのは良かった。大丈夫、きっと良くなる。

(車に乗っけてくれた警察官の方と、僕の旅に興味深々で質問攻めしまくってきた12歳の少年。ちなみに余談だが、Chincherosは小さいながら可愛くて穏やかなイイ町だったけど、不注意で写真データを消してしまった。。)

そうして僕はChincherosの町にもう1日滞在し、食欲が戻るまでじっくり待つことにした。昼間はスペイン語の勉強したり、散歩して食欲を促してみたり。やがて夜になり僕は町のピザ屋さんを訪ねた。食べたいと思って食べるご飯ってこんな美味しいんやな。お腹が満ちると、自転車をこぎたい気持ちが戻ってきた、食べることは生きることだ。有難う、神さん、仏さん。


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