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非日常という日常 "Which is life routeen?"


Puerto Rio Tranquiroを出ると次の街として120km先のCochraneコクランを目指すことになる。しばらくはブエノスアイレス湖を横に見ながらペダリング。絵の具で塗ったようなこのミルキーブルーは現実のものとは思えない色をしていて、何度立ち止まって見てもその都度、感嘆の声を挙げた。 アウストラル街道は基本的に細かいアップダウンの連続でフラットな道が長く続くことは少ない。しかしこのアップダウンが景色をより印象的にしてるのも確かで、体力的負担が多いのも確かだが、こんな綺麗な景色を見させてくれるならそれも仕方ないのかもと、妙に納得することもある。

(1枚目 Puerto Rio Tranquiloでは湖の奇岩ボートツアーが人気。湖上は風が強く、それによる波で削られた美しいマーブル模様の岩壁などを巡る。 2枚目、キャンプ場内も風が強く、自炊時は風よけの工夫が必要だった。 5枚目 嘘だと思われるでしょうが本当にこんな色したLago Buenos Aires。実際目の前にした本人だって何度も立ち止まっては疑い、ため息をついたものだ。)

僕は19歳の時に一人旅を始めたが、その頃は国内でさえ「遠くに来たもんだ。」と胃の辺りがゾワゾワとするような、興奮と不安の入り混じった感覚を覚えたものだ。海外を旅することも日常と化した今では、あの頃のような「遠くに来た。」という感覚を感じることさえ難しくなった。しかしアウストラル街道の道中でフと気付いたのだ。ああ、僕は今世界の果ての、自然だらけのとんでもなく美しい場所で、自転車という小さな乗り物で旅しているのだ、と。そして最近まで大阪で同じように自転車をこいでいた日常と対比してなんだか可笑しくなった。

(1枚目 昼間はパスタを作ることが多い。 2枚目 チリで手に入るお米の中にはモチモチした日本人好みの美味しいものもあるが、ハズレな米もあるので、そんな時はチャーハンやリゾットにして誤魔化している。 3枚目 フロムスペインのエミリオ君。僕の名前を聞いて「君は石田ゆうすけと同じ名前なんだ!」って言ってた。自転車で世界を7年半かけて回った石田さんのエッセイ「行かずに死ねるか!」は僕が今も旅を続けてるキッカケになった本なんだけど、世界でも翻訳・出版されてるとは。)

いくら情報が簡単に手に入ろうと、どれだけ道具が旅の生活を便利なものにしようとも、自転車旅を選択した以上、ペダルをこがない限り進まないし、雨風、坂道、暑い寒い、食住の不安、色んな苦労が必ずといってつきまとう。写真や電子画面でその場所を知った気になろうとも、実際にその景色を前にした時の感動を超えることはない。その日の天気や標高プロフィールが手に取るように分かっても、実際の苦労やその先に待つ喜びは、その道を走った時に初めて実感出来るのだ。その場所に立たない限り、その場所を知ったとはいえない。だから家から近くても、遠く離れた辺境の地であっても、新しい場所を旅することは未知の世界を切り開くということであり、その人にとって冒険であることには違いない。この冒険がもうすぐ終わってしまうのかと思うと、少し寂しい気分になった。でも、この旅のあとは自転車旅では無いがオーストラリアで働くつもりだし、ニュージーランドも再訪するだろう。単に移動し続けるのが旅なのでは無く、新しいことに挑み続けることこそ旅といえるのである。僕の旅は続く、世界でも日本でも。

小さな村Puerto Bertlandを越えると、やはりミルキーブルーが美しいRio Bakerという川沿いを道は走り、この間には2つ3つと傾斜の険しい小さな峠が連続するのだが、驚いたことに楽しく坂道に食らいつく自分がいた。午後7時の夕暮れ空には橙色に染まった雲の群れがプカプカと泳ぎ、地平線の向こうまで雄大なRio Bakerが蛇行するように流れている。 Cochraneというアウストラル街道では比較的大きな街に辿り着いた。アウストラル街道も残り220kmを残すだけとなる。


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