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彼はまだ本気を見せてない "It's not his Real."


パタゴニアの旅・後半戦がいよいよ始まる。森や川に囲まれた自然豊かなアウストラル街道から一転、ここから南はパンパと呼ばれる草木も育たぬ荒涼とした大地にパタゴニア名物の強烈な西風が吹き荒れる厳しい土地だ。「牛をも飛ばす」と揶揄されるパタゴニアの風、果たして味方か敵か。

エル・チャルテン出発の日、街中でさえ朝から物凄い風が吹き荒れ、キャンプ場のテントはバッサバサと音を立てて揺れている。天気予報は2週間先まで「強風」マーク。オイギンスの国境越えからずっと一緒のニュージーランドのサイクリスト、アンディとエイリーンは出発するという。こりゃあ腹を括るしかない。

出発して5分で小さなエル・チャルテンの町を抜けると文字通り辺りには何も無くなってしまった。心は必ずしも勇んでいるわけでなく、未知の世界にただ恐れを抱く。ガケから放り出されたライオンの子供はこんな気分だろうか?後ろを振り返ればフィッツ・ロイの山群が道の向こうに堂々と聳えている。今日は生憎ピークは雲に隠れていたが、息を飲む景色を見せてくれたその山々に一礼してまた僕はペダルをこぎ始めた。

幸い、町から最初の90kmは東向き。パタゴニアの風は通常、西から吹くことが多く、この日は面白いくらい追い風が背中を押してくれる。少しくらいの坂も軽い、軽い。思わず「あれ?この自転車エンジン付いてたっけ?」と疑ったり、写真を撮るために立ち止まれば、猛烈な風が吹いてることに気付く。平均時速30km/h、最高時速60km/hをマークしつつ、90kmの道のりをたった3時間程でたどり着いてしまった。

(1枚目 空の上を旅してる気分なんです。 2枚目 なんか岩みたいなのがモソモソ動いてるなと思ったら、まさかのアルマジロ!意外と恥ずかしがり屋で、こちらに気付くと一切動かずだんまり。 3枚目「こんな風の強い何もない所で降ろされてヒッチハイカーも大変やね」と思ってたら、底抜けに楽しそうな人たちでした。)

と、楽しかったのはここまで。交差点を曲がり、道が南西向きに変わった瞬間、スーパー追い風はスーパー向かい風にひっくり返り、ペースは一挙に10km/h以下まで落ち込んでしまった。ちなみに、この道はアルゼンチンのパタゴニア地方を南北に貫く国道40号線、通称 "RUTA40(ルタ・クワレンタ)"はライダーやサイクリストにとっては有名な道。僕が世界を旅するきっかけになった石田ゆうすけさんの著作「行かずに死ねるか!」でもこの道が登場した。また数年前、大阪のとある旅好きが集まるカフェで、世界一周経験者達(その時は基本バックパッカーの集い)のスライドトークのイベントに参加したことがあり、その中で「自分が将来旅したい場所」を、僕含む参加者が発表する機会があり、まさにその時僕は「パタゴニアのルタ40で暴風に吹かれながら自転車をこぎたい。」と言っていたのを、今見事に叶えてるやないか!と思うとなんだかちょっと嬉しくなったりもする。ただ今回の風が、まだパタゴニアの本気で無いことは分かる。これまで経験した一番の風はニュージーランドでのことで、あの時はちょっと命の危険を感じたレベル。きっとアレを超えるポテンシャルをパタゴニアは持ってると思うんだけど、会いたいような会いたくないような、ね。

(風の強い日は手を掲げて「おっぱい計測」、これぞまさにフィールドワーク。)

顔を歪ませながら30数kmをこぎ進め、左手の方に人気の無い薄桃色の建物を見つける。

「あれが、ピンクハウスなのか・・?」

エル・チャルテンを出発すると、サイクリストは1日目にこの「ピンクハウス」を目指すと言う。このピンクハウスはかつて営業されていたレストランかホテルの跡で、いわば廃墟ですね。年中暴風の吹き荒れるこの地域で野宿するには風を遮る何かが非常に重要になってくるのだが、いかんせん小さな町さえ100km以上無いのは普通。そこでこういった廃墟がサイクリストの野宿場所として重宝される訳です。しかし廃墟なんて何か出たら怖いですやん、とおそるおそる建物の中を覗くと、壁にはビッシリと歴代サイクリストの感謝の書き込みを見つけ、ここが噂のピンクハウスで間違いないことが分かる。さらに何やら建物内から音楽が流れているのだ。ヤンキー?いやいや、日本とちゃうねんから。その音源に向かうと、今朝まで一緒だったアンディとエイリーン達で、再会を喜び合い、一人ここで泊まるのは心細かったので心底ホッとした。ちなみに夜中何か出る(?)ことはなかったけど、ネズミとかの類は住んでるようなので、食料はしっかりテント内に閉まっておいた方が良さそうだ。有難く場所を使わせてもらったので、建物を辞す時は手を合わせて感謝した。

次の町 El Karafate までは100km、出来れば1日で走り切りたい。2日目は朝からどんより曇り空にシトシト雨。辺りはほとんど山が無く、こんな乾いた土地にも雨が降ることは意外と思えた。西向きでも無いのに微かに向かい風が吹き、思うように進まない。臆病な野生のグアナコ達は(ラクダ科のシカに似た動物)僕を見つけて遠くまで逃げていく。その大きな体で茶けた草原の中を優雅に駆けまわる姿は、どこか幻想的で目を奪われる。人も寄せつけない厳しい自然、どこか寂しげな空気感。この景色は迫力に飛んだものではないが、明らかに日常では見ることのない異世界の中を旅しているようで、ゾクッとするような高揚感を胸に感じながら走るのであった。

(何もないように見えて、チャルテンーカラファテ間には時々景色も変わって案外楽しい。それにしてもこの辺りのコンドルは本当に大きい、羽を伸ばした姿は雄に1mを超えている。)

久々の分岐点で、一度RUTA40と別れてEL Karafateへ向かう道へ。ここからは完全に西向きとなり、午後以降強まった風を真っ向正面から受けることになり、なかなか進まない。その横を大型トラックが物凄いスピードで駆け抜け、その瞬間巻き込むような風にバランスを取られそうになり、非常に危険だ。いよいよ日も沈みかけ、あと町まで距離にして20kmも無かったが安全を考慮して野宿を決行することにした。風を遮る建物も無く、道を走る車から見えない場所を見つけるのに苦労したが、丘と丘の隙間にわずかなスペースを見つけ、ねじ込むようにテントを立て、しっかりとロープを張りペグダウンした。幸い、風は弱まり月を見ながら平和な夜を過ごすことが出来た。これがこの旅の最後の、外での野宿となることをこの時はまだ知らない。

(珍しくご年配のヒッチハイカー。ヒッチハイクってお金無い人がやるアレでしょ?って正直僕は思ってました、まあ僕も無いんですけど。でもこのオジサマが言うには「バスで移動しても誰とも話さないでつまらんやん。ヒッチハイクしたら地元の人と話が出来る、それが楽しくてやってるんだ」と、なるほどそれなら納得。まあ一方で「ペリト・モレノ氷河、入るの高すぎるよね。」と僕と同じ愚痴をこぼしてらっしゃいました。お金も大事ですからね。)

翌日、僕はEl Karafateの町にたどり着いた。


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