きっと彼らのセレブレーション "Maybe thier cerebration"
「伝説のパン屋」 そう書くと偉い大層なと思われるが、フエゴ島のTolhuin(トルフィン)という町にはサイクリストが必ず立ち寄る有名なパン屋さんがある。なんでもサイクリストなら無料でパン屋さんの敷地内に泊めていただけるということだ。それは何としてもお世話になりたい所だが、リオ・グランデからパン屋さんの町・トルフィンまでは110kmと長い距離。その日は早起きしてサンドイッチをたくさんこさえて、風の中リオ・グランデの街を勇んで出発。町を出る際にまた犬に追いかけられた。フエゴ島の犬は気性が荒いようだ。
最初、轟轟と吹く風に翻弄されたが、道の向きが変わってからは追い風を受けて時速30km/hに近いペースで、グングン距離を伸ばし、お昼過ぎには90km地点、ここまで来れば楽勝なので道の脇でお昼休憩とする。草木生えない不毛の土地から一転、いつしか周りは森が囲みだす。ウシュアイアまでさらに山深くなるのでここから先、風はそう強くならないそう。木々の葉は早くもオレンジや朱色に染め、パタゴニアはすでに秋の気配。朝こさえたサンドイッチを広げ、スマトラ島のコーヒー豆をミルで磨り潰し、熱いお湯で点てると、湯気と共に良い薫りがフワッと漂った。
「イイ時間やな。」
(1枚目 リオ・グランデには「カルフール」なんてあったからビックリ。あと何かのデモ行進がやってました。 2枚目 リオ・グランデ2泊目の夕食はビーフシチューとゆで卵。余った分は携帯食にする。 6枚目 この後起こる事も知らずに楽しい顔だこと。)
冷たい雨がシトシト降り始めていたが、レインウェアを着て、初秋の森の景色を楽しみながらペダルを踏む。やがてトルフィンの町の入り口にたどり着いた。110km、やれば出来るやんか。ここからウシュアイアまでも同じ距離なので、早ければ明日にでもゴール出来そうだが、2日に分けて最後の野宿を楽しむのもアリかもしれない。さあ、まずはパン屋だ。町に入り僕はパン屋の方角へと走り出したのだが、またも3匹程の犬が吠えながら僕に近づいてくる。いつも通り無視して通り過ぎようと思った瞬間、右足のふくらはぎに一瞬衝撃が走った。自転車ごと横に転げたがすぐに立ち上がり、僕は一瞬で状況を理解した。近づいてきた犬が僕の足を噛んだのである。あと100kmでゴールするっていうのに、何てことしてくれんねん!おそらく1分程その場で立ち尽くしていたと思う。その間も犬が僕に吠え続けていたような気がするが、ショックのあまり気にしていなかった。ひとまず自転車を横に寄せ、ペットボトルの水と石鹸で、噛まれた箇所をゴシゴシ洗う。かすり傷程度なので、足を動かすのは問題無さそうだ。しかし狂犬病リスクも0ではないので、なるべくすぐに病院で注射を打ってもらないといけないだろう。ああ、クソ。なんて面倒くさい・・。噛んできた犬は、ある民家の前に伏していた、不思議にも犬に怒りの感情は湧かなかった。アイツも訳が分かんで、自転車に乗った異質な動体に恐くて噛んでしまったのだろう。しかしその民家の家主とは話をしておく必要があると思った。ドアをノックしてみる、その間も犬が吠えてくるので、
「シャラァァァァァップ!!!」
と叫んだらビックリしたのか鳴き止んだ。 そして出てきた家主のオッサン。事情を説明すると、 「ああ、餌はやってるけど、別に飼ってるわけじゃないんよねえ。」 という適当な返事。納得いかないという顔で、眉間にシワを寄せていた僕を見て、最終的に面倒くさそうな顔しながら傷口の消毒をしてくれた。
「他に何が必要だ?」 「いや、もういいよ。ありがとう。」
そうして僕とオッサンと犬との関わりは終了した。 なるべく早く病院に行きたかったけど、すでに午後5時。おそらくウシュアイアまで行かないとワクチンを扱う病院は無いと思われるので、予定通りトルフィンで1泊することにした。パン屋はすぐそこだった。
"La Union" 広い店内にはたくさんのパン、たくさんのお客さんに、たくさんの従業員が忙しく注文を取っていた。そのうちの一人はヘルメットをしていた僕を見つけて「泊まりたいの?」と声をかけてきた。しばらくして口の周りに髭を生やした男性がやって来て、パン屋の裏にある建物へと案内してくれた、すでに何人かのサイクリストが到着してリラックスしていた。この男性がパン屋ユニオンのオーナーさんで、とても気さくで親切な方だ。アウトドアスポーツが好きらしく、自然の厳しいパタゴニアを旅するサイクリストにシンパシーを感じるのかもしれない。
「犬に噛まれて、明日病院に行きたいんだけど、ここにもう1泊してもいいかな?」
そう聞くと、あっさり快諾。本当に有難い。
僕はさっそく日本の保険会社に電話して病院の手配をする。話はあっという間にまとまり、運良くウシュアイアにキャッシュレスで診てもらえる病院があるようだ。電話が終わると後ろから僕を呼ぶ声が、振り返るとパタゴニアで何度も出くわしているUSAのジェイクだった。彼とパン屋に行き、コーヒーとを食べながら今日の出来事を話す。ジェイクは、
「それは災難やったね。でもな、たぶん犬達もユースケを祝福したかったんちゃう?『よくここまで来たな!』って。」
こういう時でもジョークが出てくるのがアメリカ人らしいというか。
診察は翌日のお昼12時。自転車では間に合わないので、荷物はパン屋に預けてローカルバスでウシュアイアに向かう。あと100km程でゴール出来るのに、バスで下見とは何と滑稽な話だ。楽しみを損ねるわけにいかないので、なるべく外の景色は見ないように、という無駄な努力を図る。保険会社から教えてもらった住所は雑居ビルの中の小さなクリニック。対応してくれた女性医師は僕より少し歳上の綺麗な方だった。僕の話した状況を幾分聞いて女医はこう言った。
「あなたは日本でしっかり予防接種を受けているし、噛まれた箇所は足で、傷も小さい。それにこの島で狂犬病リスクはほとんど無いの。だから新たに注射を受けることはないわ、大丈夫よ。」
と言って抗生物質と思われる錠剤だけ渡された。お、終わりかえ!?犬に噛まれたら、事前にワクチン接種がある・なしに関わらず、追加ワクチンの必要というのが通例だから、この場で打ってスッキリしたかったのに・・。地元の医者がそう言うのだからそうなんかな。とは言えモヤモヤは消えないので、日本でお世話になったお医者さんに電話し、聞いてみた。すると
「そのお医者さんが言うことは一理あると思う。でも心配だったら帰国してからウチ来て2回くらい打てばいいかも。」
とのこと。その方が精神衛生上いいに決まってる(帰国後2回ワクチン受けました)。これにて今できることはやった。そそくさとウシュアイアを後にしてトルフィンのパン屋に戻る。帰ると、フエゴ島初日で一緒だったイタリア人のデイビッド、チロエ島のフェリーで知り合ったフランス人のジョバンニと再会した。ジョバンニは還暦も過ぎているのに、自転車でユーラシア横断、そして南北アメリカ縦断もやってのけたスーパーマンだ。日本が大好きで、仕事と遊びで何度も来ては、お遍路も歩いて回ったという。人と話すのが大好きという彼と色々話せて、張り詰めていた心が少しずつほどけてきた。この日の夕焼けはいつになく紅く、流れる雲が印象的だった。
明日、2年間のゴールを迎える。