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お家探しはブルースの旅路


オーストラリアに来て3カ月を過ぎた所だ。ここらで沈黙を破り、近況についてまとめたいと思う。仕事や趣味のことはさておき、今回のテーマはずばり「お家」だ。タイトルにも書いたが今回は本当に家探しに苦労した。まずはメルボルンに来た当初に話は遡る。(ちなみにめっちゃ長くて特に面白くもないので、お好きな方だけどうぞ。)

現地に知り合いがいたり、日本を出る前から留学代理店を通してホームステイ先を決めていたなら話はもっと簡単だが、代理店に手数料を払いたくもなければそんなものに頼らなくても家くらいヒョイと見つけてやるわという、馬鹿げた旅人根性もさておき、旅の始めはやはり安宿から始まるのが清貧旅行を続けてきた自分のアイデンティティというものだ。メルボルンに知り合いがいないわけでも無かったが、そもそも来る前から「人生お悩み祭り」状態で、出発準備さえもフライトの前日に始めたくらいだから、着いてからのことなんかまるで考えていなかった。

(自然はいつでも荒んだ心を洗ってくれる。サイクリングの記事も気が向いたら書こうと思います。)

とはいえ最初に泊まる宿くらいは予約してあった。街の中心部からそれほど離れていない「バックパッカーズホステル」と呼ばれる相部屋の安宿である。「とりあえず3泊くらい」と思っていたのが、よもやここに2カ月もいることになろうとは。宿の部屋に着いてから早速問題を見つける。部屋に窓が無いのだ。窓が無いと、部屋の全員が起きない限り灯りが点けれないので至極不便であるのと、仕事もしていなければいつまでも惰眠をむさぼってしまうのだ。さらにメルボルンに来てからも一向に気持ちが前向きにならない僕にとって、この外の光の無い独房のような雰囲気は余計に僕の心を滅入らせるのだった。

相部屋の同居人が常識ある者ばかりではない。部屋の中でスピーカーで音楽を垂れ流す、夜遅くまでおしゃべりに興じる、挙句の果てに部屋の共用トイレの中でおっぱじめる連中がいた夜は心底最低な気分になる。

最もストレスを感じていたのは共用キッチンだ。オーストラリアは物価が高く、外食費はすこぶる高い。英国植民地からの他国の移民文化ミックスなこの国には、特に食べるべき名物料理も無ければ、料理が好きな僕にとって「自炊」はほぼ唯一の選択肢である。それゆえキッチンは住居空間の中で一番重要性の高い空間だ。施設自体は悪くなかった。電気ヒーターのコンロは8口、調理器具や皿も一式用意されてるし、冷蔵庫も広い。しかしここを使う人達のマナーが最悪だった。使った鍋や食器は自分で洗い、元の場所に戻して綺麗な状態を保ち、次使う人のことを考えるのが当然のはずだ。しかし皿や鍋を洗わずに放置していく輩が大勢いて、シンクは誰かの洗い物でいつもいっぱい、テーブルは皿や食べかすだらけ、コンロの周りもベチャベチャ。「洗って元に戻さない者は出入り禁止・20ドルの罰金。カメラで監視中」の張り紙を気にする連中では無い、というかそもそも監視なんか全然されてないんだから。見かねて洗い物をするのはいつも僕だ。物凄い量の時は要領良くしても1時間くらいかかる。仕事をしてない時期もあり、時間はたんまりあったし、洗い物は嫌いではないのだ。誰かのために役立つはずだし、自分のためにもなると信じて、ボランティアで一人キッチンの掃除を2カ月毎日続けた。驚くべきことに2カ月間ほとんど誰も手を貸してくれなかった。その上、横から洗ってない食器を置いて出ていったり、食べ物を簡単に捨てたり、スマホをいじりながら適当に食べ物を口に移しているのを見ていて、なんだか僕はやりきれない気分になっていた。挙句、保管してある食べ物も何度か盗まれた。タッパに保存していた白菜の漬物が減っていた時は、怒りの感情よりむしろ味の感想を聞いてみたいような何とも言えない気持ちになった。食べかすだらけだから冬だけどゴキブリもネズミも出るし、素晴らしい衛生環境だ。マナーの良ろしい連中も然りだが、運営側の怠慢にもため息が出る。皿洗いをサボる連中がいたら天井から金タライが頭に落ちてくる仕掛けがあれば、多少僕の気分も浮かばれるだろうに。

(本を良く読むようになった。日本から何気なく持ってきた星野道夫さんの「旅をする木」後半にかけて味わいが深くなり、心救われるような言葉にもいくつか出会うことが出来た。)

そんなこんなで一刻も早くこの馬鹿らしい空間を抜け出す必要があったのだが、思いのほか家探しは難航を極めるのだった。

家と言っても、一軒家はもちろん自分でアパートを借りるわけではない。というか短期滞在のワーホリーメーカーに不動産屋が物件を貸すはずもない。そこで僕たちのような人間は誰かのお家の余ってる部屋を間借りする。いわゆる「シェアハウス」とか「フラットシェア」とか呼び方は色々だ。知り合いの紹介というパターンもあろうが、僕はシェアハウス専門のウェブサイトを常にチェックし、条件の良い物件を探そうとした。良い物件が見つかると、広告主に内見(Inspection)の申し入れをし、内見でその家が気に入れば入居希望の旨を伝えるのだが、同じ物件には何人もの希望者が集まることもあり、最終的には滞在期間の長さや希望人の人柄などを元に広告主が人を選ぶ、というもの。

家探しにあたって、どうしても外せない条件はいくつかある。例えば、

・家賃週200$(約1万6千円)まで ・家から職場まで自転車で30分以内 ・朝早いため、相部屋ではなく個室 ・ノット・パーティーハウス(うるさい家は最悪です) ・ベッドやシーツなどの家具完備(Furnitured) ・自転車を安全に保管できる

さらに、オプショナルな希望を加えると、

・1軒屋、庭付き、出来れば家の装飾も凝った可愛らしいお家 ・海が近い ・猫付き物件

これは出来れば・・という話なので、マストな条件さえクリアしていればいいのです。しかしいざ、内見の申し入れをしても返事すら返ってこない場合が多い。広告主は不動産屋には限らず、その家に住んでる人であること方が多く、その人の匙加減で返事を出すことさえしないのはこっちでは当たり前のようだ。やっと内見にこじつけても、ネットに書いてあった写真や情報の通りだけで無いことを知る。

1軒目、アパートのユニット。家の雰囲気が重く、紹介された部屋はいるだけで鬱になってしまいそう。3階なので自転車の上げ下ろしが大変そう。 2軒目、アパートのユニット。同居人の男性がすこぶる感じが悪く、一緒に住んだらストレスは間違いない。 3軒目、閑静な住宅街の1軒家。入口の庭が写真と違って荒廃、ゴミ、そして建物にヒビ。中に入ればお化け屋敷のような雰囲気、汚い台所、上半身裸でわがままボディ・感じの悪そうな同居人。 4軒目、1軒家。家の外見は普通、しかし中に入れば全ての部屋が物置状態、床中ゴミだらけ。台所なども荒廃。見学時、内装業者が作業していて、「リノベーションしてるから綺麗になるよ」って言われても想像出来るかい。広告に掲示されていた値段の部屋は、他の部屋の通路になりプライベートとも言えない。おまけにゴミの中に注射器を見つけた、前はパーティーハウスだったのかもしれない。僕の顔色を見て、案内してくれたオーナーが「あんな、お前の言うような値段でこの辺で部屋探そういうのが天地茂やねん。俺かて妻子養わなあかんねん。」と謎の逆ギレ。知らんがな(笑) 5軒目、アパートのユニット。日本人紹介の物件で信用度は高そう。その時は会えなかったが、同居人の外人2人も感じが良さそう。アパート自体は古そうだが、設備面と家賃のコストパフォーマンスが良いので、「これなら住めそう・・!」と思って入居希望の旨を伝えたが、滞在予定が長い他の希望者を選んだようだ。 6軒目、アパートのユニット。ここまでの全ての家で、見学者が来るというのに、部屋の片づけもせず、生活感丸出しを見せつけてくるいい加減な連中ばっかりだったのが、今回初めて片付けはもちろん、写真そのままの美しい部屋に出会う。しかしオージーのお姉ちゃんとの2人暮らし、英語は通じないことはないけど、タイプでもない外人女子と2人暮らしとか気まずいだろう。あと家賃も週230と予算オーバー。生活レベルは良さそうやけど、難しいなと家を出た後、「今回は他の人を探すわ。」とメッセージが来た。帰り道は冷たい雨が降っていた、家探しはブルースな旅路やで。。

(正直、コーヒーへの熱は以前より少し冷めていると思う。そのことに焦りを感じた時もあったけど、逆に今までとは違う仕事へ興味が出てきたり、それはそれで面白い。ずっと一つのことばかりしなくていいのだ、変わってもいいのだ。でもやっぱりコーヒーは好きで、時々カフェを訪れたりしている。)

この頃、宿の冷蔵庫に入れてあった食材を何者かに盗まれていたり、ゴキやネズミが出たり、部屋がうるさかったりと、仕事しながらの宿暮らしもそろそろ精神的に限界に来ていた。

「なんとか住める場所を、早く・・」

そこである物件のことを思い出した。家の情報はわずかしか書かれていなかったが「私たち家族は夜9時には眠りに就きます。」とある。これは暗に「夜9時以降は静かにしないといけない」ということだろうと、一度自分の中で却下していたのだが、逆に言えば真面目な人達で静かに暮らせるかもしれないと、ダメ元で見学に行ってみることにした。アパートの2階、住んでいるのは、とあるアジアの国から移住してきた3人家族。個室の一つをベッド・机付きで貸してくれるというもので、部屋は簡素だがキレイにしてあるし、自転車も部屋の中に置いて大丈夫との許可ももらい、ほぼその場で即決することになった。苦節の宿暮らしから2カ月、僕はようやく静かに暮らせる家を見つけ、宿で仲良くなった何人かに分かれを言い、意気揚々と引っ越し先へ向かった・・のだがこれで旅はまだ終わりでは無かった。

(こんな可愛らしい一軒家に住めたら幸せなのだが・・。)

着いて家に入れてもらうと、旦那さんがひとしきり家の説明をしてくれる。その間、奥さんは僕の部屋を見に来ることもなく、ソファーに寝ころんでスマホを見ていた、挨拶をしてようやく目線をこちらに向け、細い声で "Hi"といった。歓迎してくれとは言わないが、これから一緒に住もうという人間を迎える空気ではない。旦那さんの家の説明では「メルボルンは電気代が高いから、部屋の電気は夜10時半には消してくれ。」と。え?それはいくらなんでも早すぎではないか?カフェの仕事が朝早いから、寝るのも早いけど、せめて11時くらいまでは使いたいとその場で交渉した。部屋の説明が終わり、2週間分の家賃と敷金、合計1200$(10万円)を手渡すと、今日の彼らとの関わりは終了、家はシンと静まりかえった。

「まあ、やれ。やっと静かに暮らせるわけだ。」

誰もいないキッチンで料理を作り、久々にゆっくりとご飯を食べれることが嬉しかった。しかし生活はやや不便を強いられた。灯りは早く消さないといけないし、台所もシャワーも夜9時以降は使えず、廊下の足音にも気を使う。暖房の無い部屋では、タイツとダウンを着用しないと寒くて寝れないし、湿気が凄くて1日経っても洗濯物が乾かない。さらにこのご夫婦がえらく不愛想で会話も無く、職場でも未だに下手くそな英語で孤立しがちだったので、30年の人生でこれだけ孤独を感じたことは無かった。

それでも誰にも邪魔されることなく料理を楽しめるのだけはメリットだった。しかしある日、滅多に話しかけてこない奥さんが「お前と話がある。」とえらい剣幕で来たかと思うと「お前、この前夜9時を越えて台所で飯食ってたやろ?あと部屋の明かりも点け過ぎ、ガスも水道ももっと節約しろ。私たちは子供の大学費用まで稼がないといけない。ここに住む以上は協力しろ。」と言うのだ。これまでもかなり気を使っていたのに、まだ不便を強いるというのか?多少の反論も試みたが通じそうになかった。まだ来て1週間くらいしか経っていなかったが、早くも引っ越しの検討が頭によぎった。

(ゆっくり料理が出来るのは嬉しい。ただ「うまっ!」とも、声に出せない静まった空間では喜びも冷めてしまいそう。)

しかし苦労してやっと見つけた家だ。次の家がさらに居心地悪いこともありえる。彼らの言い分も少しは理解できる。自分の心を広げて、もう少し様子を見ようということになった。そうしてまた1週間を過ぎ、このまま行くかのように思われていたが、今度は旦那さんからの一言。「俺たちは週に1回しか洗濯をしないから、お前もそうしてくれ。」と。洗濯に関しては「週に2、3回はしたい」と入居時確認していたのに。この前の電気の件も、11時の交渉が結局10時半になっている。そういう細かいルールは内見前に知らせておくべき情報ではないのか?まあ、誰も住みたがらないだろうけど・・。1週間分も服を持ってないし、第一そこまで溜めたら不衛生やろう?そもそも乾かない洗濯物も含め、コインランドリーに行く回数が増えることになった。そのほかにも口を開けば生活態度の改善に関する小言しか言ってこず、いよいよ顔を見るのも嫌なレベルにまで達してきた。家は決まっていなかったが、引っ越す旨を伝えた。「友達が誘ってくれてる。」と適当に嘘をついたが、次の入居人を探すのが面倒なのか、かなり不機嫌そうだった。

2週間で新しい家を見つけないと僕はとうとうホームレスになってしまう、もちろん例の安宿に戻るだけなのですが。。

決まりかけていたお家は直前に裏切られ、どうしようと考えていた所、拾ってくれる神様がいた。なんとオプショナルの条件に挙げていた「猫付き物件」である!そのアパートは商業エリアが近く、静かな場所に住みたい僕にとっては忙しい街中に住むことに不安を覚えたが、猫と住めるなら毎日癒されるし、同居人の日本の方が話の通じるまともな方だったので、エイヤとこの船に乗ってみることにした。

引っ越し当日。部屋の掃除を済ませ、鍵を返す際「これまでありがとう。」と2人に言った。僕はこれまでたくさん不満を感じていたのに、彼らに口にすることはやめていた。それは敷金を返してもらうためにトラブルを避けたのもあるが、出来るだけ彼らのことを理解しようと努めてのこともあった。しかしどうやら彼らの中で僕は「嫌われ者」になっていたようだった。僕の最後の挨拶にも目線だけをやり、何も言わなかった。もう、なんか背筋がゾクッとしましたね。それでも道からアパートに一礼してペダルをこぎ出した。

(釣りを始めました。とはいえ釣りは小学生以来なのでド素人同然。"Kマート"というこっちの生活雑貨の安売り量販店で買った釣り竿(1500円)でチャレンジした。海藻に引っ掛かったのか、開始30分でリールが壊れて大惨敗。あまりに易々と壊れたので返品出来たので、性懲りも無く次回再チャレンジします。早く釣れた鯛で美味しい刺身をいただきたい。天然ワカメは味噌汁にさせてもらった。)

新しいお家にやって来た。忙しい街中への不安はどこへやら?猫が可愛すぎるし、お家の人達も穏やかで楽しくおしゃべりが出来る。もうそこにピリピリとした空気は無かった。

「旅が終わった。」

今僕はこの家で本当に幸せだ。苦労の3カ月があったからなおさらかもしれない。あのお家での暮らしは大変だったが、静かに暮らせたことは確かだし、エネルギーは大事に使うってことも、自然を愛する自分にとっては良い心がけを勉強できたと思う(彼らはお金のためだろうけど)。彼らも生活に余裕が無いのだろう、ただ昔はもっと笑う人達だったんじゃないかと思う。今となれば、彼らがまた笑って暮らせる日々が来ることを静かに祈ろう。

仕事は少しずつ慣れ始めてきている。しかし気を抜くと、ダメを見る難しさも今回は何度も経験している。今回の滞在は正直、苦労要素が多い。これまでみたいにいい人ばかりでなく、人間の嫌な部分を見ることがよくある。しかし、それを一つ一つ乗り越えてこそ心の成長があるのだろう。色んな人達が、僕を鍛えてくれているのだ。幸せなお家がある、仕事もなんとかやってる、ベースメントはここに整った。楽しくしていけるか、学びの場にしていけるかは自分次第で無限に自由なのだ。


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